生きづらくなる地味な理由
後期高齢者であり、認知症の始まった母は、いわゆる「フレイル」状態となっている。
もともと母はよく出かける人だった。朝は喫茶店でコーヒーを飲み、家事や仕事を済ませたら夕方はサウナに行く日もあった。
元気だった母が少しずつ不便さや面倒くささを感じるようになって出かけなくなったのは、身体能力の低下だけが理由ではないと感じる。
数年前、母がよく利用していた駅前のゆうちょ銀行ATMが撤退した。このATMコーナーは、メガバンクや地銀が横並びで置いてあり、駅利用者にとって大変便利だった。
メガバンクの口座に入金されたお給料からゆうちょ銀行の口座に子どもの給食費を移動させるといった具合に、預貯金の他口座への振替振込に多くの人が並んでいる。
多種多様なATMが色とりどりに並んで「私は赤い銀行です!」「こちらは緑がイメージカラーの銀行です!あなたの持っている通帳と同じ色でしょう、さあここですよ」とアピールしてくれていることが、高齢者やユニバーサルデザイン利用者にとってありがたいことだった。
今でこそネットバンキングですべてが「いつでもどこででも」済ませられる時代となったが、高齢の母目線で言うならば、便利な時代は極めて不便な時代となったのである。
ネットバンキング、私もいつまで使えるのだろうか?ある日突然使い方が分からなくなってしまったら?デジタルディバイドがさらに深刻化したら?
淘汰される側の生き物の怯えかもしれないが、私はこの時代に大きな揺り戻しが来るのではないかと考えている。
やっぱり生身の人に聞きたい!
会話の中からヒントを得たい!
ロボットにお皿運んでもらうのはもういやだ!
そういう人間が増えるんじゃないかしら。まあそれが高額すぎるサービスとなったら難しいところもあるけれど。