知らない方が良かったこと
「アルジャーノンに花束を💐」
ダニエル・キイスのベストセラーである。
ネタバレが気になる方はここから気をつけていただきたいが、この小説は「知らない方が良かったこと」を考えさせる。
主人公は「知れて良かった」と感じているようにも読み取れなくはない事柄、事実、周囲の反応について、私は、気付かないでいた為にこれまで生きてこられたというのが読後感だ。
母が認知症で、多くの物を失くしてしまう。
実際のところ、失くしてしまったのか、あるいは大切にしまった場所を覚えていないだけなのか、そこは深く詮索しないことにしている。
失くしてしまったのなら「失くしたこと」を悲しんで困っているだろうし、大切にしまっているのならそこに踏み込むのも何だかなあと思うからだ。
ところが、ここ数年「銀行の通帳がない」と言うので、某銀行にアポイントを取り、母と共に向かった。
母は、この銀行の人は親切だ、きれいなお部屋に入れてくれて、お茶を出してニコニコ話してくれると言っていた。私は(はは〜ん、年金狙いの接待だな)と思っていたが、母は高齢だから純粋に笑顔のおもてなしが嬉しかったのだろう。
事件は、そのきれいな、お茶が運ばれた部屋で起こった。
母がお茶を飲んでいる部屋から、男性が私1人を呼び出した。そして、今後母とは新規の取引ができないと言われた。再発行してもらう予定だった通帳も作れないとのことだった。
細かい説明は割愛するが、私は俯いて震えてしまった。様々な不安が頭をよぎった。
今後通帳なしに入出金の記録はどうするのだろう?インターネットバンキングは使えるだろうか?いや、ネットでの振替も不審に思われて凍結されるか?母がキャッシュカードを失くしたら生活費はどうなる?認知症の高齢者でも10年以上生きられる人もいる。後見人制度も母が了承しないだろう。
私は、たずねた。
「もし、母が認知症であることを知らないでいたら、今回のようなことにはなりませんでしたか?」
銀行員の男性は、黙って頭を下げていた。