食のエッセイ「ごはんドロップス」を書く理由
あのとっておきのお塩とそこにレモンをしぼると美味しいんだよなぁ。テレビに映るサシの入った高級そうなお肉を見ながら、表面をじゅっと焼くところを想像しながらつぶやく。
いただいた朝採れのとうもろこしを見た瞬間、ごはんにするかそれとも片栗粉をまぶして油でさっと揚げて食べるかで目をぎゅっと瞑って苦悩する。
やっぱり食べることって究極の癒やしだなぁ、と心から思う。
あたしのあたまの中は結構いつも食に関することや食べ物であふれている。そもそもの食いしん坊さとともに食に異常に興味がある(人はそれを執着とも言う)のは自分でもちゃんと認めているしそれでいいとも思っている。もはや開き直り?
noteに登録したのはもうずいぶん前のこと。読みたい文章を読みたくて、だったと思う。自分が書くことは、もうないだろうなと思ってた。ずいぶん前にほとんど毎日更新していたブログのようなものがあったけれど、それはTwitterやinstagramなどのSNSに取って代わった。
そんなあたしが2022年の春、noteで食のエッセイを書いてみようと思い立った。もう書かないだろうって思ってたのに。
あたしは書くことが好き。手帳に手書きでその日のこととか思うことを書くのはもうずっと昔からの日課だし、クリアリングノートと呼ぶ脳内を吐きだすだけのノートも書いている。瞬間思うことがあればそのへんのメモにパパっと書くのもクセだ。書いていると落ち着く、という感覚がある。
あたしは食べることが好き。美味しかったお店の味を自宅で思い出しながら作るのが好きだし、本や映画に出てくるお料理の再現も好き。食に関することで気になると調べまくるし読みあさる。食について知る、ということが何より楽しいし、もっともっと知っていたい。
その「書く」ことと「食に関すること」の両方の好きなことをいっしょに味わうために、noteで食のエッセイを書くことに挑戦してみるのはどうかな?と思ったのが最初。
今は自宅でのんびり仕事をしながら闘病しているところなのだけど、フルコース治療を駆け抜けてすでに2年経とうとしていて、寛解まではまだまだ遠い道のりだけどずいぶんと身体も元気になってきた。自分が生きる意味とか今何が大切かとか残される人のこととか、そゆ大抵の人が死を前にして考えるだろうと予測されることは全部網羅した。きっと。
じゃあ何する?何がしたい?どうなりたい?と考えて素直に出たのは、
「食べることを文章にしていつか本を出版したい」
恥ずかしいけど書いちゃう。本当の心の中を書いておくことが大事だと思ったから。そしてそれがいつか叶うことになればとってもとってもうれしい。
エッセイを書くに当たり、そのテーマとなるイラストも同時に描いて載せるまでをセットとして決めた。絵を描くのも子どもの頃から好きだし、ごくたまーにイラストを提供することもあるのだけどもっぱらアナログだからデジタル絵に慣れてなくてただいま絶賛練習中。
そんなわけで、不定期ではあるけれど食のエッセイをここnoteで書いて公開していくこと、そしていつか本として出版する、というとてつもなく大きな夢を胸にいだいてここで生きていきます(宣言)。
まずは楽しく。楽しいのがいちばん。おいしくたのしくね。