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あの有名な犯罪者に遭遇した昭和の卒業旅行
僕は四十年前ほどに大学を卒業し、同級生の男二人との三人で卒業旅行に行った
アメリカ西海岸の一週間ほどのツアーだった
お決まりのサンフランシスコ、ロスアンゼルス、サンタモニカをめぐるツアーである
なんとツアー料金は30万ほどした
たしか為替が1ドル200円台だったと思う
今よりも随分とドル高であったから、海外ツアーの料金は現在に比べれば格段に高かった
就職後の2年間のローンでの支払いで、なんとか行けたのだ
やはり、ロスアンゼルスのディズニーランドには感動をした
もちろん、東京ディズニーランドなど開園していなかった時代
ホーンテッドマンション、カリブの海賊、スペースマウンテンなどなどは、当時の日本の遊園地にはありえないファンタジーだった
そして、カリフォルニアの海沿いの街のフィッシャーマンズワーフではシーフードを堪能した
店店に立つ売り子らがカタコトの日本語で、「 エビ、カニ、オイシイ、オイシイ 」とひつこく売り込んできたのを覚えている
ロスアンゼルスの街の夜は、物騒だった
男3人であっても、街なかを歩くのは怖かった
酔っ払った190センチくらいの黒人が、「 ジャンジャジャジャ〜」と鼻歌を繰り返えしながら、近づいて来たとき、僕ら3人は走って逃げたりもした
それから、一度、離れたところで銃声が鳴ったときも走って逃げた
だが、当時は現代よりもアメリカは憧れの国であったと思う
そんなふうであったが、アメリカ西海岸を楽しんで成田空港までの帰路に着いた
すると、機内に日本人らしき三十歳位の男性も同乗していた
サングラスをかけた無精髭を生やしたその男は、どちらの足だったか忘れたが、包帯をしていて松葉杖をついて歩いていた
席は離れていたので、特に目にも気にもかけなかった
そして、成田空港に到着をして、飛行機を降りて荷物の受け渡しを終えて、歩き出したとき、たくさんの報道陣が集まっているのが見えた
あのサングラスの男を囲んでいるのだ
そして、インタビューをしている
彼は泣きながら、何かを訴えていたが、離れていてその内容は聞こえなかった
その夜のテレビのニュースを見て、あの三浦和義氏だと知った
ロスアンゼルスで新婚旅行中、二人の黒人に銃撃を受け、彼は足に銃弾があたり怪我をし、奥さんは頭に銃弾を受け、意識不明のまま現地の病院に残しての帰国であった
ロスアンゼルスの滞在時には、その銃撃事件を、ニュースなどから目にすることはなく、帰国後、日本国内で大変な注目を浴びているのを初めて知った
その後、奥さんは亡くなる
まさに、悲劇の被害者であった
しかし、一年後くらいに週刊誌でロス疑惑なる見出しで保険金目当ての委託殺人の容疑者となることになる
たしか、保険金は1億5千万だったと記憶している
そう、あのロス疑惑の三浦和義氏だったのだ
その後の二十年くらいは、ご存知のように映画やドラマさながらのストーリーが展開された(実際に映画化、ドラマ化されていた)
十年あまりの裁判に、無期懲役から一転、証拠不十分で無罪となり、拘置所から釈放される
その後、彼は保険金については裁判の判決により、保険金を一部返還する羽目になる
しかし、彼を殺人者として報道した週刊誌などマスコミ各社に対して、次々に名誉毀損の裁判を起こし全勝したように記憶している
結構な慰謝料を手にしたようだ
たまに彼はテレビのバラエティ番組などにも出演し、ちょっとしたタレント気取りをしていた
そんな彼に吹いた逆風は、アメリカで委託殺人をした真犯人がわかり、彼に逮捕状がでたのだ
しかし、無罪判決のでた日本国内では逮捕はできず、彼は安全の身であったはず
だが、なぜか理由はわからないが、彼はサイパンに渡航したのだ
サイパンはアメリカ領である
彼は飛行機を降りるとすぐに、アメリカの警察に逮捕されロスアンゼルスの留置所に送られて入ることになる
しかし、その翌日だったと思うが、留置所の部屋で自分の服を縄のようにした首吊での死を発見されることになる
自殺と報道された
だがその後、他殺説も浮上したのだ
最期まで、謎を多く残した三浦知義氏であった
まさに、その渦中の人だったロス疑惑の三浦和義氏との遭遇をした卒業旅行だった