娘の笑顔に学ぶ『幸福論』
みなさん、こんにちは。
今日は、朝から素敵な気づきがあったので、それを記事にしてみようと思います。
毎日、朝、娘が起きると、妻がリビングにつれてきます。
おはようございます。
僕は、笑顔で、娘に朝の挨拶をしています。当たり前といえば、当たり前です。
この当たり前の朝の挨拶に対し、まだ、言葉を話せない娘は、最高の笑顔で応えてくれます。僕が、笑顔であれば、あるほど、最高の笑顔を返してくれます。笑顔の倍返しです。
これって、コミュニケーションの極意ですよね。
一言、「おはよう」というだけで、何か、特別な言葉を発しているわけではないのに、ものすごく幸せな気持ちになる。お互い笑顔でいることで、さらに笑顔になる。その様子を見て、妻も笑顔になる。笑顔が伝染していくんです。
幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ
これは、フランスの哲学者アランが著した『幸福論』にある言葉です。昔、これを聞いたときに、意味がわかりませんでしたが、最近、この言葉が、僕にしみこんできているように感じています。
この言葉は、エヴァンゲリオンをはじめ、まんがやアニメなど、さまざまな作品に引用されています。
僕も最初にこの言葉を知ったのは、何かのまんがだったと記憶してます。(エヴァンゲリオンが有名らしいが観たことない)
僕は、若くして結婚し、子どもを授かったためか、20代や30代のときに、多くの人から
幸せそうですね。
と、声をかけられました。そのとき、決まって、
今が幸せかどうかは、きっと、10年後くらいたって、振り返ったときに、わかることだと思う。今を一生懸命生きているだけだから、今が幸せかどうかわからない。
と、返していました。これは、当時の僕の本音だし、今も、根本はそう思っています。その瞬間の結果だけの幸か不幸か決めていたら、挑戦なんてできなくなると思うから。
例えば、宝くじが大当たりして、その瞬間、最高の幸せを手にしたとしても、その後の浪費で、身を滅ぼしてしまう人もいるでしょう。そうなると、宝くじが当たったことは、幸せだったのでしょうか。
逆も、同じです。元妻の裏切りにより、離婚をした僕は、そのときは、不幸のどん底でした。しかし、今後の過ごし方によっては、あの離婚があったから、こんな幸せな晩年を送れたんだと、思えるかもしれない。
このように、考えていた僕ですが、最近は少し違います。健康で働けること、毎日のご飯がおいしいこと、そして、娘の笑顔が可愛いこと。このことを感じられるだけで、十分、幸せだと思うのです。
幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ
娘の笑顔を見て、ふと、この言葉を思い出して、ストンと腹に落ちた気分です。これからは、あまり難しく考えず、笑顔で楽しく、幸せに過ごしていこうと思います。
最後に、最近、ずっと前に本で読んだことや、人から見聞きしたことを、ふと思い出し、自分の中に溶け込んでいくような感覚になることが、良くあります。もしかしたら、器が少し広がっているのかな?
それでは、また。
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