ロック史#2 : ロックンロールの天才達
初回となった前回は、
・黒人たちの労働歌からブルースが生まれる
・カントリー、ジャズの登場
・ブルースがアメリカ南部から徐々に広まる
・ジャズやブルースにエレキが取り入れられる
こんな感じの内容でした。
今回はロックンロールの大流行時代を紹介します。
"人種音楽"から"R&B"へ
背景として、前回もチラッと挙げた黒人の大移動によって、ブルースがアメリカの中部〜北部にも広まっていきます。
1930年代から50年代にかけて、ラジオ、レコード、テレビ、と音楽を家で聴くことのできる媒体が一般に普及し始めている状況。
ビルボードを代表とするヒットチャートも発達するなど、音楽がますます大きなビジネスになって、有名なミュージシャンが続々と頭角を現すようになるわけです。
「売れたら儲かる」という構図の確立です。
マディ・ウォーターズのように黒人のアーティストもヒット曲を出すようになり、ブルースは全国区に。
黒人による楽曲を、白人たちは差別的な意味合いを含む"人種音楽(race music)"と呼び、ビルボードでも"人種音楽チャート"として白人の曲とは別々にされていました。
その後1947年に、ビルボードのジェリー・ウェクスラー氏の提案によって"リズム・アンド・ブルース"、R&Bとしてメインのチャートにも載るようになりました。
R&Bの定義って曖昧な気はするんだけど、私が考えるには「ブルースのアップテンポ版」とでも言いましょうか。
ジャンプ・ブルースというサブジャンルの名前もあるんだけどね。
ということでジャンプ・ブルースの代表、ルイ・ジョーダンの曲を聴いてみましょう。
ジャズの流れを受けたビッグ・バンドの編成だけど、ロックンロールに近づいてきた。
ここからよりシンプルな楽器編成(ギター、ベース、ドラムス、サックス、ピアノ)になったのがロックンロールです。
ロックンロール
1950年代半ば、これまでに紹介したブルース、カントリー、R&Bが融合したロックンロールが若者の娯楽として人気を高めます。
当時活躍した黒人のロックンローラーをいくつか挙げてみます。
チャック・ベリー
ロックンロールのパイオニアとされ、「ロック界の伝説」とよばれたレジェンド。
代表曲「Roll Over Beethoven」「Sweet Little Sixteen」「Johnny B.Goode」など。
特徴的なフレーズでシングルを量産、音楽で人々が踊り狂う時代に突入です。
ボ・ディドリー
ボ・ディドリー・ビートとよばれる強いリズムを中心とした作風で、デビューから人気を集めました。
代表曲「Bo Diddley」「Crackin' Up」など。
確かにビート重視で、独特だけどクセになる。
ファッツ・ドミノ
常にリズムを刻みながら演奏する、いわゆるブギウギのスタイルで地位を確立したピアニスト。
代表曲「Blueberry Hill」「Ain't That A Shame」など。
ニコニコしながら観客の方に顔を向けて歌うのが不覚にも可愛い。癒し枠か?
リトル・リチャード
声を張り上げるようなボーカルは、ポール・マッカートニーにも直接影響を与えました。
代表曲「Tutti Frutti」「Long Tall Sally」など。
このダイナミックさはハードロックとかにも繋がってくるのではなかろうか。革命的。
ロカビリー
白人の若者達にも人気を博すロックンロール。
しかし黒人への差別意識が根付いている親世代にとって、ブルースは何となく"悪い奴が聴く音楽"と思われていました。
なのに、白人がブルースをマイルドにアレンジしたカバー曲がヒットするという現象も。
黒人が始めたことを白人が好き勝手真似して広めるみたいな風潮、好きじゃないなー。
とは言っても、黒人音楽にリスペクトを込めつつ、ロックンロールをものにした白人スターもたくさんいます。
エルヴィス・プレスリー
キング・オブ・ロックンロール。
50年代のアーティストでは飛び抜けて売れ倒していたレジェンド。
代表曲「Heartbreak Hotel」「Hound Dog」「Love Me Tender」「Jailhouse Rock」「Can't Help Falling In Love」など。
アメリカ南部のミシシッピ、労働者階級の黒人が多くいた地域で育ったため、黒人音楽に触れる機会が多かったというのが彼のルーツ。
カール・パーキンス
"ロカビリー界の王"とよばれ、多くの曲が偉大なミュージシャンたちにカバーされました。
代表曲「Blue Suede Shoes」「Matchbox」など。
ポール曰く「カール・パーキンスなしでビートルズはいない」らしく、どちらも親しみやすい曲に長けている。
ジェリー・リー・ルイス
カントリーに影響を受けながら情熱的なスタイルの楽曲と演奏で人気を博したピアニスト。
代表曲「Whole Lotta Shakin' Goin' On」「Great Balls of Fire!」など。
ロックンロールのヤンチャなイメージは彼やエルヴィスらが育てたといえます。
バディ・ホリー
死が早すぎた影響力絶大のメガネ青年。
実はこれまで紹介したミュージシャンの多くの楽曲は作曲家によるもので、バディはシンガーソングライターとして最初期の存在でもありました。
代表曲「That'll Be the Day」「Peggy Sue」など。
見てわかるとおり、ギター×2、ベース(コントラバス)、ドラム、というロックバンドの4人編成を定着させたのも、ザ・クリケッツを率いた彼である。偉大も偉大。
エディ・コクラン
ギター越しにゴイゴイスーしてるみたいに見えて勝手に笑ってます。
彼も人気絶頂でこの世を去ってしまう。
セッション・ミュージシャンとしての仕事も多く、誰もが認めるギター小僧でした。
代表曲は「Summertime Blues」「C'mon Everybody」など。
何気にアコギメインなのは珍しい。
これらカントリー影響下の白人によるロックンロールを、カントリーの初期スタイルである"ヒルビリー"にちなんで、ロカビリーと称されます。
有名な人達を挙げるだけ挙げて、今回はここまで。
次回、早くもロックンロールの衰退が訪れます…。
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