見出し画像

週末のピアノ|11月|クロード・ドビュッシー

印象派という言葉から想起される、それこそ印象めいたものからは、このカテゴリーで認識される音楽家や画家たちのそれぞれの作風は、たぶんとりとめのないものとなる。

それでもやはり、クロード・ドビュッシー(1862 - 1918年)の2つの前奏曲集を譜読みして感じたことは、印象派と称される音楽家や画家たちの背景にあっただろう、共通した命題のようなものだった。

どのようにして、それから逃れるか。

このことの前に、印象派であろうが象徴派であろうが、無数に存在する何かしらの「派(主義)」と呼ばれる一連のアプローチであろうとも、何も変わらないように僕には感じられる。また、このことは、一人一人がまったく異なることも、同時に意味している。

こうした気分は、モーツァルトであれ、ベートーヴェンであれ、シューベルトであれ、当時から古臭いと言われていたバッハも含めて、偉大な先駆者であったことに変わりなく、しかし、僕の感受性においては彼らの音楽からは感じられない。

その意味において、ドビュッシーの音楽は、まさしく20世紀に足を踏み入れたことを思う。

Debussy|Préludes, Premier livre|Henle社
Debussy|Préludes, Deuxième livre|Henle社
Debussy|Suite bergamasque|Henle社

前奏曲集 第1巻(1909 - 1910年)
前奏曲集 第2巻(1910 - 1913年)
ベルガマスク組曲(1890年)

Claude Debussy|Preludes Book1|Walter Gieseking|Angel, 1954
Claude Debussy|Preludes Book2|Walter Gieseking|Angel, 1954

ドビュッシーのなかで、僕が日常的に弾きたいと思っているのは、この3つの曲集であり、ベルガマスク組曲については、妻との結婚式で弾いた『月の光』のために。本命は、2つの前奏曲集のほうにある。

また、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920 – 1995年)による名演などを横目に、僕にとってはヴァルター・ギーゼキング(1895 - 1956年)の即物的な演奏が、ドビュッシーのモダンさをよく伝えているように感じる。

たったそれだけのことで、音楽として成立するということ。

聴感的には、様々な技法を凝らしているように感じる前奏曲集が、意外にも初見でそれなりに弾けたとき、僕はこのことにこそ驚いた。本当に、たったそれだけのことで、こんなにも音楽は変わる。

そして、コロンブスの卵がそうであるように、卵を立ててみせたのはコロンブスであり、音楽として成立させたのは、ドビュッシーということになる。

11/4(月)1周終了
11/15(金)2周終了
11/23(土)3周終了

いいなと思ったら応援しよう!