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ピアノソナタ全32曲を弾く|L.V.ベートーヴェン

コンサートピアニストたちが行うチクルス(zyklus:特定の作曲家の連続演奏会)のように、ひとりでひそやかに、ベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を弾いてみることにした。

Beethoven|Klaviersonaten, Band I |Henle社
Beethoven|Klaviersonaten, Band II |Henle社

反復練習しなければ、その曲として聴こえないような作品(以下の通り)については、学生時代から何度か(作品によっては何度も)弾いてきた。あらためて数えてみると、9/32曲しかなかったのかと思う。

第8番 ハ短調 作品13『悲愴』
第14番 嬰ハ短調 作品27-2『月光』
第17番 ニ短調 作品31-2『テンペスト』
第21番 ハ長調 作品53『ヴァルトシュタイン』
第23番 ヘ短調 作品57『熱情』
第29番 変ロ長調 作品106『ハンマークラヴィーア』
第30番 ホ長調 作品109
第31番 変イ長調 作品110
第32番 ハ短調 作品111

他の曲については、今回初めて弾くものが多く、当然ながら初見ということになる。いっぽう、いわゆるベートーヴェン弾きとして名高いピアニストたちをはじめ、様々な名ピアニストによる演奏を、数十年に渡って繰り返し聴いてきているため、それぞれの曲がどんな曲であるかを、僕なりのイメージとして持ってもいた。

また、ヨアヒム・カイザーによる古典的名著(1975年)は、彼自身の美的判断よりも、プラトンのイデア論的に、演奏(現象)と理想(本質)との往来を記したものとして、折に触れて目を通してきた。

ベートーヴェン 32のソナタと演奏家たち(上・中・下)|ヨアヒム・カイザー|門馬直美, 鈴木威/訳|春秋社

結果として、初見であるにも関わらず、それなり弾けてしまったものがほとんどであり(本当に意外なことに)、たとえば、第12番 変イ長調 作品26『葬送』などは、弾き終わったときに妻から拍手が送られるほどだった。

前半を弾き終えて感じたことは、即興的に作られただろう作品の多さ、そしてリズム的にはブギ・ウギ(boogie-woogie:黒人によるブルースの一種)のようでもあり、当時の作曲家は皆そうだったという意味を越えて、ベートーヴェンが即興演奏の名手だったことを実感した。

シューベルトが、和声によってめくるめく幻想のなかに埋没していくなら、ベートーヴェンは、リズムによって音楽をドライブ(推進)させていく。また、少年時代に見上げた(少年期にしか見ることを許されない)、あの青空を思わせる緩徐楽章には、歳を重ねるほどに心震わせられる。

そのように前半16曲を弾き終えた。

そして後半16曲へと折り返すように、ベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を弾き終えることになった。まさか、こんな日がくるとは思ってもいなかった。もちろん人に聴かせるレベルでは、大変な修練とそれなりの才能が求められる。僕はいずれも持ち合わせていない。

しかし、ただ自分のために弾くレベル、もしくはその程度の技術面においては、意外にもあっけなくといった印象がある。また、その「あっけなさ」のなかにこそ、静かにふつふつと湧いてくる感動もあった。

精密さの前で挫折するよりも、粗雑であっても大きくつかまえておく。このことの大切さは、それなりの年月を生きてきたなかで得た、もしかすると知恵のうちの1つかもしれない。正確なデッサンよりも、一呼吸でアウトラインをつかんでしまうクロッキーのように。

また、前半でも予感していたように、後半を弾き終えてあらためて感じたのは、ベートーヴェンはジャズピアニストに近いということだった。

そう感じた理由は、大きく分けて2つほどある。1つは、主題(モチーフ)の展開のさせ方が、自由な旋律線(フレージング)によることが多く、もう1つは、裏拍のリズムによるスケルツォ(scherzo)的な要素を積極的に用いたことによる。

こうした呼吸感のようなものは、初期と後期のソナタに顕著であり、中期の構成感の奥にも息づきながら、32曲のソナタ全体を貫いているように思う。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770 - 1827年)。とかく構成の人と思われがちなベートーヴェン像のなかで(実際にそうでもある)、また、後期3大ソナタと呼ばれる作品109から作品111(第30番から第32番)の霊妙さについても、自由な旋律と躍動する裏拍の発展としてつかまえたときに、少年期から青年期、そして中年期を生きて死んだ、ルートヴィヒとしての像に感銘を受けることになった。

なぜ中期以降も、第22番(作品54)、第24番(作品78)、第25番(作品79)、第27番(作品90)などといった、小規模なソナタが散りばめられているのかについても、このクロッキー的な弾き方のなかで腑に落ちたところがある。

また、その巨大さからとりとめのない印象しかなかった、第29番(作品106)『ハンマークラヴィーア』に、圧倒的な美しさをもって心が揺さぶられた。そうか、そうだったんだとつぶやきながら。そして、後期3大ソナタのヤバさについては、ますますその思いが深まった。

ベートーヴェン弾きと呼ばれる名ピアニストたちへの憧れを胸に、彼らが何度か全曲録音しているように、いつか、また弾いてみようと思う。

2024年 11/16(土)1回目終了

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