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映画 連鎖

救われない。

ソックも、周りの人々も…。

映画やドラマ、そしてニュースを見ていつも思うこと。

“罪の重さは同じ”

傷つけられた者、奪われた者の気持ちを考えれば、相手が健常者だとか障害があるからとか関係ない。

正しい目で判断し、犯した罪には同じだけの罰を科すべきだ思う。

2022年4月26日に韓国映画の聖地・シネマート新宿で観賞。

この作品が自分が映画館で観た最後の作品、以降はU-NEXTをメインにサブスクでの観賞に。

第46回日本アカデミー賞、第44回ヨコハマ映画祭、第47回報知映画賞など栄誉ある賞を総なめにした“ある男”を2022年11月19日に“渋谷HUMAXシネマ”で友人と一緒に観賞(素晴らしかった!)したものの、個人的にはこの作品が映画館卒業(一旦?)の作品だと思ってます。

監督・脚本を務めたのは本作が初の長編となる“キム・ジョンシク”、主人公の青年ユン・ソックを演じたのは“キム・デミョン”

“連鎖”は繊細でとても難しい“タブー”に切り込んだ作品だ。

韓国のとある農村で穏やかに暮らす知的障害を抱えた青年が“ある出来事”をきっかけにすべてを失う。

主人公“ユン・ソック”は30代だが、ハンデがあり8歳程度の知能しかない。

この物語は悲劇、冤罪の物語。

彼は友達の少女“チャン・ウンジ(チョン・チェウン)を助けようとしただけ。

この“出来事”がきっかけで町の誰も彼もが“負の連鎖”の渦に飲み込まれていく。

停電した暗い部屋で気絶したウンジを助けようとしていたソック。

“自分のなかにある欲望を抑えきれない人間は獣と同じ”

その様子を目撃したウンジを保護していたエステル青少年シェルター所長の“キム(ソン・ユナ)”はソックを“獣”として犯罪者にしてしまう。

言い逃れできない状況証拠、記憶を失ったウンジ。

誰がどう頑張っても誤解を解くのが困難に思えるほど、負が連鎖してしまう。

ハンデを抱えたソックに、その“無実の証明”は難しいだろう。

ソックがウンジを襲っている、キム所長がそう思うのは当たり前。

誰が見てもそう思う、それくらい悪いピースが揃いすぎているのだ。

少年少女への虐待、性加害など“人の醜さ”を目の当たりにしてきたキム所長にはより、そう見えたのかも知れないし、ハンデを負ったソックへの偏見もあるだろう。

ソックを“ミカエル”と呼ぶ教会の“神父(キム・ウィソン)”

ソックを幼い頃から知る彼もまた、ソックを守ろうとするあまり“善人から悪人”へ、負の連鎖へと堕ちていく。

ソックを性犯罪者と決めつけ、断固闘おうとするキム所長を司祭としての強権で黙らせようとする。

だが、神父はソックを心から信じている訳ではない。

信じたいが、心の奥底ではソックが罪を犯したと思っている。

“ハンデがあるから仕方ない”という誤った考えでキム所長を説き伏せようとする。

自分は悪いことはしていないと必死に分かってもらおうとするソックに、裁判で罪を認めるように諭す。

“それが一番罪が軽くなる方法だと…”

ソックには一緒に酒を飲んだり食事をしたりする親しい男友達がいる。

彼らは事件のあと、ソックを“ダメなやつ”、“ろくでなし”と呼んで距離を置く。

親切で優しかった町の人たちも“町から出ていけ”と手のひらを返す。

“ボクを信じてる?”

町の誰一人として、ソックを信じる者はいない。

接近禁止を破って病院に会いにきたソックにウンジは冷たくする。

“ウンジもソックを信じていないのか?”

違う、ウンジだけはソックを“大切な友達”として信じている。

幼いウンジにも、自分のせいでソックが辛い目にあっていることは分かる。

ソックのことを思い、ウンジは“友達じゃない”とソックを突き放すのだ。

“黒い犬が追いかけてくる”

ウンジを苦しめている“本当の悪”は別にいる。

物語後半、キム所長はそれに気づくが…。

底知れぬ孤独と絶望に堕ちていくソック。

彼は精米の仕事をしながら一人で暮らしている。

村の祭りでスリをした犯人を“悪い人”として体をはって捕まえる。

映画のなかでソックが“自慰行為”にふけるシーンがある。

体は同年代と同じ大人、どこまで理解してのことかは分からないが、性への目覚めはある。

事件のあと、自分を仲間はずれにした友人たちにソックは石を投げる。

ソックの無実を知る自分からしたら、友人たちのこの態度はありえないし、もし自分がされたら腸(はらわた)が煮えくり返るだろう。

でも石を投げたり暴力に訴えることはしない。

理性が働くからだ。

暴力性、衝動を抑えることができない、性に目覚ていること。

これはやはり恐ろしい。

これもまた、負の連鎖といえる。

あえて監督は描いたのだ。

いくら綺麗事をいっても、みんなどこかで、自分たちと違うソックのことを“心の奥底”で怖がっている。

事件を知った周りの人々は“やっぱりな”と思った。

ソックは迫害され、友達も、家も、仕事も、すべてを失う。

泥沼に沈んでいくソックがどうなったのか、それは描かれていない。

だが、ラストのシーンが意味するものは死のような気がしてならない。

この映画を観て頭に浮かんだのが1998年にTBSで放送された“聖者の行進”

“野島伸司さん”が描いたこのドラマには“いしだ壱成さん”、“酒井法子さん”、“広末涼子さん”、“雛形あきこさん”、“安藤政信さん”らが出演。

連鎖と内容は違うが、作業所を舞台に、悲しく、憎く、怒りを覚え、いろんなことを考えさせられたドラマだった。

ハンデを負った人が“負の連鎖”に飲まれる、“負の連鎖”を引き起こさないために、周りや本人にとって一番いい方法。

それは“ニトラム/NITRAM”の記事で書いたように、周りが本人にあった適切なサポートをすることだ。

この作品はありとあらゆる“負の連鎖が生んでしまった冤罪”をテーマにしている。

その上で、最後にあえて言いたい。

“人を傷つけたり、命を奪うような行為はどんな理由があろうと、絶対に許されない”


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