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お葬式の不思議さ

先日、何度か危篤状態を繰り返していた祖母が亡くなり、「当事者意識をもって」という意味では初めてのお葬式に参列することになった。
お葬式という体験は私にとって(興味深いという意味で)面白く、不勉強であるが故に未知の連続だったので、その新鮮さを感じたままに記録しておこうと思う。
ちなみに、家族との別れを軽んじているわけではない。昨日まで元気だったのに…とか若くして…とかであればショックの方が上回っただろうが、98年の人生をまっとうし、共に過ごした時間も満ち足りていた祖母との別れだったからこそ、お葬式そのものの興味深さをしみじみ感じることができた。

お葬式って2種類あるんだ

まず、日本式のお葬式は宗派によって2種類あることを初めて知った。仏か神かで諸々のルールが違う。例えば「お焼香」は仏式の呼び名で、神式は「玉串奉奠(たまぐしほうでん)」というらしい。絶対に意味のある紙が絶対に他の種類では替えが効かないであろう木の枝にくっついたアイテムを玉串と呼ぶ。これを時計回りに一周させ、根元が向こう側になるように置いてから二礼二拍手一礼するという決まったフォームがある。また、神式の場合は当たり前だがお坊さんはおらず、頭に烏帽子をのっけた宮司さんが儀式をしてくれる。
どうやら私が今まで抱いていたお葬式へのイメージは仏の方で構成されていたということがわかった。そして今回のお葬式は馴染みのない神式の方で執り行われた。

お通夜って気持ちつくる日じゃないんだ

お通夜は黙祷みたいな感じで「気持ちをつくる日」だと何故か思い込んでいたが、礼服を着て決められた会場に行く式典的なものだということも初めて理解した。さすがに一般常識が乏し過ぎて情けない。
お通夜は宮司さんの太鼓演奏から始まった(演奏という表現は適切ではないのだろうが他の言葉が見つからない)。サビとかは特になさそうだった。これ本番の何日前から何回くらい練習するんだろう。
その後、棺に向かって「イザナギの神の……まにまに……守りたまへ……かしこみかしこみ、もーすー」といったニュアンスのお経的なものを読み上げたのち、正確な順番は忘れたが玉串奉奠のプログラムを経て1時間くらいで終了した。
最後に父が参列者への挨拶を行い、次女と長女の名前を読み違え、その場で娘に指摘され慌てる姿を見届けて1日目が終了した。

葬儀とはなむけ

葬儀は親族だけで行われた。
祖母が横たわる棺の中に、たくさんの花を添えていく。5歳の甥っ子が花を一つ入れるたびに「これも入れてあげるからね〜」と声をかけていた。
認知症だった祖母は既に5年前の時点で会話ができなくなっていたので、私にとっては亡くなった今よりも「お洒落でプライドが高いおばあちゃん」に会えなくなってしまった5年前の方がショックが大きく、その時点である種の「お別れ」を感じていたように思う。だから、こうしてお葬式のタイミングで落ち着いてさよならができてよかったな〜と、どちらかというとさっぱりした感覚でいたが、お花でいっぱいの棺に横たわる祖母を見たら蛇口を捻ったみたいに涙が出てきた。寂しいというより、とても綺麗で、泣いてしまった。

火葬と電気ロウソク

葬儀後は、街から少し外れた山のふもとにある火葬場へ移動した。「亡くなった人を燃やすための施設」と聞いて、地球に初めて来た宇宙人はどんな感想を抱くだろう。「合理的だな!」なのか、「なんで?」なのか。或いは、「そう来たか!」みたいな反応もあり得るかもしれない。
火葬する前に、もう一度宮司さんによる短めの儀式があり、最後のお別れの時間がきた。遺影の両隣にロウソクが置いてあるのだが、電気で灯るタイプだった。きっと何年も前に「電気で灯るロウソクが開発されたんだよ、見た目も本物にそっくりだからこれに差し替えようよ!火事の心配もないし!」と言い出した人はわりと非難されたのではないだろうか。どこまで「形」にこだわるか、そもそもどこまでが「形」なのかも時代を経て変わっていくのだろうと思う。
祖母は、私たちがお昼ごはんを食べているうちに、あっという間に燃えつきた。

はじめての骨あげ

骨を拾う収骨室には、長い箸が置かれていた。柄の先が黒いのと白いのがあり、これはどういう意味があるのかと姉たちと推理した結果、いにしえのアレだし男が黒で女が白とかかねえ…?という安直な仮説を導き出した。
あとで担当の人から「黒と白を一本ずつお取りください」と説明があり、違え箸の印だったことが判明。ふんわり聞いたことのある知識と目の前の現象が繋がった瞬間だった。
そうこうしているうちに祖母の骨が熱々の状態で運ばれてきた。ロン毛を綺麗にリーゼント風にまとめたお兄さんが骨の部位を丁寧に説明してくれ、私は腕と指の骨を持ち帰ることにした。祖母は油絵が上手だったから。

巻きの五十日祭

火葬を終えたら、最後の儀式である五十日祭を執り行うためにもう一度葬儀場に戻った。
仏でいうところの49日は、神式では一日増えて50日らしい。ここまで来ると、なんで1日違うの?とかそういう小さな疑問はもうすんなり受け入れられるようになっている。故人は亡くなってから50日間その辺を漂ったあと神様になるらしく、そのタイミングで執り行われるのが「五十日祭」だそうだ。
「今回は葬儀と一緒に五十日祭やっちゃうわ!」と母から聞かされた時、まず「おばあちゃんに巻きで今世を漂ってもらうってこと…!?」と驚いたが、核家族化が進み50日後に簡単に集まれないことも多い現代では葬儀と同時に行うことも一般化してきているらしい。生きてる側の都合だな~~!!と思うが、そもそもお葬式なんて生きている人のためにやるものだろう。
五十日祭には祝詞奏上(のりとそうじょう)というプログラムがあり、例によって「イザナギの神の……まにまに……守りたまへ……」みたいなやつを宮司さんと一緒に復唱する。
表と裏に歌詞が書いてあるカードを見ながら宮司さんに合わせて読み上げるのだが、表を読んでるのか裏を読んでるのか分からないままスタートしてしまった。しばらく迷子で、周りについていけず7割くらい読めなかった。吹奏楽部時代、楽譜のどこを演奏しているのか分からなくなり、とりあえず吹いてるふりだけしてた情けなさを思い出した。
それでも諦めず現在地を探し続け、やっと追いつけたと思ったら、宮司さんが息継ぎのタイミングで一節分くらい飛ばしながら読むタイプであることが判明しもう完全に諦めた。

こうして、初めてのお葬式が完了した。
こういう儀式って、遺影の電気ロウソクしかり巻きの五十日祭しかり、拍子抜けに「そこは形にこだわらなくていいんだ」とか「この工程はスキップしていいんだ」みたいな抜け道があり、どこまで古来のルールに従うかの線引きが分からなくて興味深い。
自分がどんな風に弔われるのかにはもともと興味がないけど、「100年後のお葬式」にはかなり興味が湧いたので、長生きしたい。

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