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おならを褒められる

彼女はわたしがおならをすると褒めてくれる。
「絶好調だね!」「可愛いね」「すごい音だったね」など、あらゆる語彙を尽くしておしりから出たガスを肯定してくれる。

褒められるたび、中学のとき不登校になった男の子が頭をよぎる。学年集会中、全員が体育座りで静かに先生の話を聞く中、彼は大きな大きなおならをしてしまった。そのあと彼は周囲からちゃんとイジられた。「誰でもやるもんなんだからそんなバカにしてやんなよ〜」と庇ってくれる友達もいたが、翌日から彼は学校に来なくなった。わたしも「こんなことみんな数日経ったら忘れるのに」とか思ってたけど10年以上経った今もはっきり覚えている。意外と忘れなかった。

そんなふうに、人によっては深い傷ともなりうるおならによって私は日々むしろ満足感や誇らしさを獲得していることが感慨深い。
ただ、ちょっと危ないのは褒められ慣れによって私の身体に「おならは褒められるもの」という感覚がインストールされかけているところだ。オフィスや飲み会なんかでとてもナチュラルにおならしそうになってる自分がいて焦る。「ここに褒めてくれる人はいないんだから…」と自分に言い聞かせてひっこめるのに一苦労、最底辺のTPOである。
多少のリスクはあれど、おならを褒める/褒められるという営みはあらゆるネガティブな感情から最も離れた明るいコミュニケーションなので、みんなにおすすめしたい。

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