⑤「初級ロシア語文法」(黒田龍之助、三修社)のことなど
(本件は上記投稿の続編です)
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私がミール・ロシア語研究所に通っていた2013年のころ、私は3人の先生に習った。
当時の校長の東多喜子先生。ミールの入門科で20年以上講師をされ、当時も現在も、30年以上ロシア語通訳としてご活躍されているカトリ先生。そして閉校間際に代講にいらしてくださったクロダ先生に数回。
クロダ先生は”フリーランス”語学教師で、大学の先生で、ロシア語についての本や、ロシア語周辺の言葉に関する本も沢山書かれておられる。
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ミールが2013年に閉校し、その後私がしばらくサンクトペテルブルグに住んでいたころ、何度かクロダ先生が私にメッセージを下さった。2015年か2016年の話である。
私が薄暗いロシアの冬の生活ですっかりホームシックである、なんていうことをメールに書いたのに、クロダ先生は何か月かして返信をくださった。
「ホームシックであるというあなたになんて返そうか悩んでいるうちに時間がたち、ハルカという名前の主人公の映画を見て、あなたのことを思い出しました」という趣旨のことが綺麗に綴られており、
そしてメールの最後はこうしめられていた。
「沢山勉強してください。」
なにしろわたしはぼんやりした子だったので、サンクトペテルブルグにいた2015年当時もその前も、ミールの現役生徒であった2013年のころも、あまり勉強しない子だった。たぶんクロダ先生もそういうぼんやりとした私のことをわかっていらしたんだと思う。
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私が2020年の秋からミール・ロシア語研究所形式のオンラインレッスンをはじめて、これについてお問い合わせくださり、はじめてくださる生徒さん方は8・9割がクロダ先生の本の読者の方である。
クロダ先生とはもともと2013年頃、私がミール・ロシア語研究所の閉校間際の最後の生徒であったころ、当時の入門科の講師で中央アジアに通訳の仕事で出張される私の師匠・カトリ先生の代講にいらしてくださったときに、何回か教えていただいた。それをきっかけに、時折やりとりをさせていただくようになった。
2013年にミールが閉校したすぐ後、クロダ先生がその頃執筆されたロシア語の教材の見本のCDを、「これで勉強してください」とわざわざ送って下さった。今でも手元に置いて、聞いている。
この「ロシア語だけの青春:ミールに通った日々」は現代書館のHPで連載されていたとのことで、連載が終わり本にまとまるころ、クロダ先生は私ともう一人のミールの一番最後の生徒を品川に呼んで下さり、私達にとってのミールロシア語研究所の記憶を丁寧に聞いてくださった。そしてこの本が出来上がると、関係者の一人として、丁寧に送ってくださった。
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クロダ先生は2013年にミールの代講にいらしてくださったとき、私が授業後にする細かい質問に、「キミは教師が嫌がる質問をする子だね」といつもの調子の憎まれ口を仰りながら、すごく丁寧に教えてくださった。授業が終わったあと、代々木の東口で生徒たちがなんとなく、解散しがたい雰囲気で誰からともなくコーヒーでも飲んで帰りましょうか、といったときには、「いや、今夜はかえってカミさんとワインでも飲む」とおかえりになっていた。
ある時はハブローニナの教科書について、なぜこの動詞の態は完了体なのか、と私が伺ったら、家に持ち帰って学者の奥様と検討してくださり、翌週その検討結果を教えてくださった。
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私には幸運なことに、ミール時代からの一番濃い時代を過ごした2人目の師匠が、本当にありがたいことにお忙しいのに面倒をみてくださっているので、クロダ先生からじかに何年にも亘って外国語のことをじっくりしっかり習ったわけでも、ロシア語について現在なにか直接コメントをいただくわけでもない。
けれども自分がロシア語を志したきっかけは2005年頃にとある方から教えていただいた米原万里さん(ロシア語通訳)のエッセイ「ガセネッタ・シモネッタ」、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」であり、その流れでとある方からクロダ先生のご著書を教えていただき、その方とともに2007年頃に神保町の本屋さんで行われたクロダ先生の講演会に行って、「代々木の語学学校M」の存在を知り、色々と紆余曲折して2010年にやっとミールに通いだして、今に至る。(もっと早く通い始めればよかった。)
そして現在も時々、クロダ先生はご著書という形で時々現れては、助けてくださる。今、ロシア語のレッスンの予習の際にクロダ先生のご本といつもにらめっこしている。特に「初級ロシア文法」。
「入門レベルというのはいろんなことが端折って凝縮して書かれているので、一番奥が深くて教えるのが難しいのではないか」、というのが師匠・カトリ先生の言。
この「初級ロシア語文法」(黒田龍之助、三修社)、読めば読むほどに、私が疑問に思うことが華麗に書かれてある。
ほんとうにさらりと書かれてあるので、過去自分が初学者であったことはおおむね読み飛ばしてしまっていたのだけれども、教えるようになって湧き出る疑問が、ほんとうにさらりと書いてある。
そしてこの本のなかの例文を読めば読むほど、おそらくこの本の執筆の際に、我らがミール・ロシア語研究所で校長の東一夫先生・多喜子先生が使用していたテキスト「標準ロシア語入門」(白水社)を相当な回数、何度も何度もご覧になって執筆されたんだと思われる。
ところでこの私のミール・ロシア語研究所形式のロシア語レッスンの開講に際し、ミールでお世話になった東多喜子先生とクロダ先生には近況報告として手紙を書いて投函した。(追記・もう一人ミールの講師であられた、現・早稲田大学のカイザワ先生には2021年にメールでご報告差し上げた。)
特にクロダ先生は2007年ごろ、まだ私がキリル文字も読めない、いち読者だった頃からの遠い昔からの憧れ畏敬との間。コメントがないというのはひょっとしたら認められていないのではないかという心配もふとよぎり、「キミにはまだ早い」、だなんていつもの調子で憎まれ口をたたかれた方がよっぽど気楽な気がする。(実際にはそんなこと仰らないかもしれないけれど。)
「(通訳として30年の経験があり、ミールの入門科で20年以上講師を務められた)カトリ君がキミのこと、入門科のレッスンできるレベルだって言うのなら、良いんじゃない?」「たくさん勉強してください。」っていうことなのかもしれない。
そもそも学問とは自分でやる、何か質問があれば一生懸命調べて、調べた結果を持って行って師匠に伺う。そうでなければ一人で歩き、泳ぐ。そういうものなのかもしれない。
2008年頃、NHKのラジオのロシア語講座を聞き始めたとき、初級編がクロダ先生、上級編がカイザワ先生のペアだった。どちらの先生もミール・ロシア語研究所の伝説の卒業生である。もちろん当時はお二方とも連絡先も存じ上げないし、遠い存在だったけれども、ロシア語がわからないけれどもいつか勉強しようとおもって、クロダ先生のもカイザワ先生のも全ての番組を録音だけしてあった。当時はキリル文字を書けるかも怪しいレベルだったので聞いても全然わからなかったけれども、今は聞いたらぜんぶ聞き取れるようになった。
2010年にクロダ先生が慶應義塾で講演会をしてくださったときに、当時会社員で営業をしていた私は直帰の時間をちょろまかして、16時半の講演会に走っていった。
その時に聴衆から全体質問を受け付けてくださるということで、私は手を挙げて確か、
「通訳をどうしてお辞めになって教師になられたのか(どちらも素晴らしい職業ですが)」ということを伺った。
そうしたら「体力的なものもあり、教師のほうが続けられる寿命が長いと思うからです」ということをお答えになられていた。
(たしかに近くで教えていただいている私としても、現役のロシア語通訳として30年以上ご活躍されているカトリ先生の通訳としての言葉に対する真摯さ、そして体力と気力は物凄いといつも思う。)
そして10年後、私は思いがけずロシア語の教師のヒヨコになった。(通訳にはまだなれていないが師匠の熱心な指導のおかげで道筋はなんとなく見えてきた。)
いろんなご縁があり、私がミールの生徒になり、そして私がミールの同窓生の忘年会のようなものの幹事をしたりしている関係で、ミールの3人目の師匠であるクロダ先生にも、近況報告とか、ご迷惑にならない程度に書けるようにはなった。
クロダ先生はSNSをお使いにならないので、メールで数行か、あるいは少しボリュームのある文章を、時折美しく書いて下さっていた。あの美しいメールを再びいただくには、今の私にはまだ少し早い気がする。
仮になにかご連絡をいただいて、ロシア語について語ろうと言われても、今の私にはまだ、なにもできない。ただひたすらヒヨコ教師としてヒヨコなりに生徒さんに全力で向かい経験を積むだけである。
わからないことがあったらクロダ先生や東多喜子先生、カトリ先生が私達にそうしてくださったように、預かって自分で検討したり、師匠や諸先輩方やネイティブの方に伺ったりして、翌週生徒さんに伝える。
「たくさん勉強してください。」
それだけである。
そういえば、2013年にクロダ先生がミール・ロシア語研究所に代講に来てくださったとき、私たちのレッスンの最後に、クロダ先生はこんなことも仰っていた。「テキストを読むときに、東多喜子先生だったらどういう風に発音するんだろうと考えながら、音読をする」と。やはり高校生の時からミールに通っていたクロダ先生にとっても、師匠は東多喜子先生なのである。
電話したら出てくださったであろう多喜子先生に直接確認するのではなく、多喜子先生に教わった記憶をたよりに音読をして、生徒に教えるのである。
それを思うと、恐らくクロダ先生が30代で講師としてのミールを一度離れられたあと、その後2013年のミール閉校間際にふたたび代講でいらっしゃる頃までの間、東多喜子先生とクロダ先生とは、そんなに頻繁にやり取りはされていないと推測される。
師匠と弟子って、多くの場合は、遠い存在なのかもしれない。
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