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11)プロになってからの楽しい日々



2020年の秋からロシア語を教えるようになった。生徒さんが何人かいらしてくださって、それで謝礼をいただけるようになって。

労働を提供して対価をいただけるということはプロの末席に仲間入りをしたというわけである。プロ入り。新四段。(←にわか将棋ファン)

お世話になっているロシア語関係のネイティブの先生方にこの件を報告したら、皆さん口をそろえて、「おめでとうございます」「私たちの同僚に仲間入りされたのですね!」というありがたいお言葉を下さった。彼らに報告する私のロシア語もかなり怪しいのだが。

私が米原万里さんに憧れて、ロシア語に関するテキストを買ってはじめて開いたのは2005年頃である。

それについてはここに少し書いた。


当時、かなり最近まで、ひょっとしたら昨年くらいまで、いや今でも時々、私は本当に悩みながらロシア語を続けていた。なにしろ本文を全然覚えられないし、当時全く格変化もぐちゃぐちゃだし、私の同年代でノンネイティブではないのにロシア語がもっとできる方たちはうじゃうじゃいるのだ。いちいち比較していたら精神がもたない。

だから「標準ロシア語入門」をすべて覚えたら、またロシア語を続けるか決めようとおもっていた。

そしてコロナ禍のおかげで昨年師匠が救世主のように現れて、何年かぶりにインターネットでお話をした。そして師匠は私をまた再び鍛えはじめてくださった。


昨年、師匠には「標準ロシア入門」をやりなおしていただいたのだけれども、昨年の記録を見返すに私の受け答えもかなりぐちゃぐちゃである。「標準ロシア語入門」の「基本例文」・「応用例文」はまあ流石に教科書が裂けるまで持ち歩いていたので(勉強したとはいっていない)だいたい覚えているのだけれども「練習問題」の逆訳とか目もあてられない。教科書の本文の記憶が曖昧だとだいたい逆訳ができなくて、そうすると正答例のこの文法がなんでこうなるのかという、そっちのほうに意識がいってしまうのである。それをうじうじ考えているとこれまた勉強が進まなくなり、次の課にすすまない。そして悩みのほうにスイッチが入る心の癖がついてしまうのである。(この現象のサイクルについては黒田龍之助先生が「ロシア語だけの青春」に書かれていた)。


プロになって今のところ楽しいことしかない。(もっと難しい課に進んだり、通訳とかの仕事ができるようになったらつらいことももっとでてくるかもしれない)宿題を出すと大喜びしてくれる生徒さんたち。関東首都圏から遠く離れた地で、ロシア語の学校などなにもない都市で、みなさんそれぞれおひとりで黒田龍之助先生の「ニューエクスプレスプラスロシア語」やラジオ講座などをひっそりとしかし地道に学習され、その先を進みたいと一人で悩まれて私に連絡をくださった健気な生徒さんたち。黒田先生や米原万里さんの著作に憧れて連絡をくださった方たち。通勤中電車で私の声の吹込み(鼻息入り)を一生懸命学習して予習してくださる生徒さん。私より年上の生徒さんも年下の生徒さんも、どの生徒さんたちもみんなかわいい。




はじめた以上、細く長くライフワークとして続けていくという選択肢しかなくなった。うじうじとロシア語のことで悩んでいる時間に心の体力を費やすならば、予習をしたり勉強したり、わからないことを調べたりしたほうがずっといい。東多喜子先生は80歳近くまでミールの授業をしてくださった。

東多喜子先生には「絶対ロシア語の勉強を辞めてはいけません」ときつく言われてきた。2013年当時私と席を並べたミール・ロシア語研究所の最後の時期の10人前後の同期たちで、ロシア語やロシア語圏とのかかわりをなんらかの形で現在も続けているのはおそらく数名と思われる。

20代の頃は本当に当時ロシア語ができなさすぎて、ロシア語と自分の将来などを絡めたことをぐじぐじと悩みすぎて、1歩進んで3歩下がるぐらいの生活をしていた。今思えば、「つらい」「できない」ことにばかり意識を向ける、そういう心の使い方をしていたのだと思う。

「悩みながら前にすすみなさい」

と休んだ時に多喜子先生は私に電話をくださって、おっしゃった。

別にいまでもテキストを全部丸暗記できないけれど、まだまだ勉強することはこれからも山のようにあるけれど。自分のことを棚にあげて、生徒さんたちに「テキストを丸暗記してください」と言い続ける日々。

かわいい生徒さんたち。続けていると、やっぱりいいことがあるものだ。







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