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3.11が近かったからか、最近よく11年前のことを思い出す。
(去年書いたものの更新。)
3.11が近かったからか、最近よく11年前のことを思い出す。
あの頃はなんで生きていたかもよくわからなかった。
11年前は会社員の営業をしていて、市町村役場のサーバールームなどの巡回をしていた。
今思えばその仕事もそれはそれで住民や職員さんの役に立っていたのだけれども、なにせ相手が市町村や団体なので、納品をしても個人の喜びを以て「ありがとうございます」と言われるわけではなく。お客様の組織の入札や予算削減やらなにやらで失注したり、サーバールームでトラブルを起こせば(仕事で某市役所のホームページ用サーバをダウンさせたことがある)上司や先輩と一緒に謝りに行ってもらったり、小回りの効かない仕様なのでなぜ他社ができるのにオタクはできないのかと詰められたり、サーバに同居させる他社システムの兼ね合いでなんとも嫌味っぽいストレスフルな人たちと打ち合わせをしたり。
なんというか当時ソツなく仕事をこなして淡々と過ぎていくのがあたりまえで、でもそのソツなくこなすために対社内にも対社外にも膨大な気遣いと膨大なストレスが必要で、というかストレスばかり、という感じだった。退職する直前1,2年は原因不明の微熱が何ヶ月も続き、謎の耳鳴りに悩まされていた。常に耳から心臓の音がしていた。数カ月に一度は実家で親と喧嘩したり、あるいはなんやかやと泣き叫んでいたように思う。
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当時格闘技の人と付き合っていた。なんというか殺人的に忙しいというか、なによりも仕事を優先する人で、深夜に会って早朝にバイバイするみたいな、そういう日々だった。
それでも好きだったのだけれども、色々とあって齟齬というか身体がちぎれるような感情に苛まれていた。感情と現実と希望が全くなんにも噛み合わない日々だった。相手もそうだったと思う。あの後会わなくなって、11年経った。
その相手への感情はもうないけれども、そこまで好きで悩んでいた日々、大きなトラウマや不安、ストレスを抱えていたその人が不器用なりに一生懸命に当時の私に向き合おうとしてくれていた日々を、いまは愛しい記憶と思い出す。
それももう11年前の話。
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その当時の耳鳴りやら謎の発熱やらは、お医者さんにかかっても直接的な原因は不明で、今思えばストレスで扁桃腺が腫れていたのだと思われる。その後仕事を辞めてしばらくロシアに行ったあともそれは年に数カ月おこっていたのだけれども、今はそれもなくなった。
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今は生徒さんたちが、私のレッスンの終わりに楽しかったとばかりに笑ってくれる。このミール式のレッスンをもっと早く習いたかった、勇気をだして貴女に連絡をしてよかった。って言ってくれる。言葉って面白いですね、って授業後にちょっと雑談していく。なんと幸せなことだろうと思う。
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2011年の3月12日、私は大船渡に行って人と会う約束をしていた。でもかみさまが、まだ来るなって言ってくれた。
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年上の人が、車を運転しながら、「聞いてもいい?年いくつなの?」と聞いた。車の窓から夜の街灯に照らされて見える景色は、雪ばかりだった。
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年上のお姉さんに、「気になるけれど。わたしには雪国に住む勇気がない。」と言ったら、
「はじまってから考えればいいじゃない。」と言われた。そりゃそうだ。
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感情をゼロにして、ぜんぶゼロにしていく練習をしている。ゼロポイント。
一旦ゼロに戻ったら、また豊かな日々を生きればいい。
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