作曲・編曲128
昨日宇多田ヒカルさんの「何色でもない花」について書いていて実感したのですが、宇多田さんって、作曲能力だけじゃないんですよね。
また、作詞能力も高いですが、編曲能力の高さをとっても専業の方以上なんですよね。
というか、違うところに視点があるんだと思います。
ここに何を入れなくちゃいけない、とかいう発想が多分ない。
楽器の弾き方とかあまり気にしていないんですよね。前にも触れましたが、「真夏の通り雨」でのドラムをキックだけ使う、という発想自体、専業の方には出来ないと思います。
自分の曲だし、お金持ちだから、「何でもあり」が出来るのかもしれませんが…。
メイキングでレコーディングの編成みても金かかっているのが分かるんですよ。
人の数が多い。
やはり人件費って大きいんですよ。ストリングスにしてもポピュラーであの人数というのはなかなかないでしょう。
これは編曲というよりサウンドの世界になりますが、やはり音の厚みが違うんですよね。
でもそれをひけらかすようなこともしない。
必要であれば使うし、不要なら使わない。
これってやはり怖いことなんですよ。変わったことをやって失敗したら、と思うと、専業の編曲者ではなかなか出来ない。
ただでさえ業界の現状が苦しい中、そんなことをしたらくいっぱぐれかねない。
よほどの一流どころでもない限り難しいですし、失敗以前にダメ出しされたら、自分の思うような編曲は出来ないですしね。
宇多田さんの場合、自分の曲をアレンジするのだから、何でも出来るだろう、と思われるかもしれません。
ただこれも結構難しい。
当然一人で音楽をやっている訳ではなく、関係するスタッフが必ずいます。
で、ダメな編曲ならやはりダメという判断にしかなりません。だからそのまま出来るとは限らない。宇多田さんクラスなら別ですが。
まあそれ以前に編曲出来ない方が多い、というのも一方であるので、専業の編曲者という職業が成り立つ訳です。
で、その方達もスタッフの見解やら失敗を恐れる気持ちもあるから、なかなか新しいことが出来ない。
特にこの傾向は顕著になってくるでしょうね。DAWの普及で自分で編曲する方達の比率は確実に上がっているはずです。
これも時代の流れなので仕方ない、というよりもっと積極的に捉えるべきことなのかもしれません。
明日はその点について考えてみたいと思います。