久我宗綱の明らかに無理がある日々

 今日は12月の21日なわけで、前回の更新から5日経っている、はずである(私はとても引き算が苦手なので自信がない)。確か三日に一度くらいの頻度で更新すると言ったような気がするのだが、まぁ抜けてしまったものは仕方ないい。今必死で反省文書いてます。

 それはそうとして今日の雑記。

 村上春樹のエッセイが好きなのである。もちろん小説も好きなのだが、エッセイはそれよりもっと好きなのである。『雨天炎天』とか『遠い太鼓』のような紀行文テイストのあるものも好きだし、『村上朝日堂』シリーズも大好きである。
 普段生きていると、「あっ、これ村上春樹のエッセイで読んだな」ということがちょいちょいある。書かれていた話そのものに遭遇することもあるし、直接書かれたことではないことに遭遇する時もある。
 なぜ、直接書かれていないことから、村上春樹のエッセイを想像するのか。それはもちろん読み過ぎという面も十分にあるのだろうが、それ以外に村上春樹の視座の(ある種の)特殊性というものがあるのだと思う。彼の独特の視座によって日常を描き出した文章からその特殊性を感じ、それをある程度内面に得た状態で私は生活をしている。そうするとふとした瞬間に、その特殊性にはまりそうな出来事に気付く。そして、そこから村上春樹のエッセイを連想する。そういうことな気もするし、そういうことじゃない気もする。

 というわけでまたなかなかまとまりのない雑記になってしまった。次回更新は年内にはやりたいです。

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