飯田隆『分析哲学 これまでとこれから』読書メモ

 飯田隆『分析哲学 これまでとこれから』という本を読んだ。

 どの文章も魅力的だったので印象が強かったものを二つ。
 「分析哲学からみたウィトゲンシュタイン」は興味深かった。ウィトゲンシュタインの分析哲学への貢献とは『論理哲学論考』の誤読だというのはなかなかにうがった視点だと感じる。また、分析哲学の二大特徴「テクニカルで専門的な分野としての哲学」と「真理、指示、意味といった概念についての理論的考察をその中心に置く分野としての哲学」(171より引用)にウィトゲンシュタイン は反対するだろうというのも面白い視点だった。ザックリ話すときには「ウィトゲンシュタインから分析哲学が広がって〜」なんて言ってしまうが、確かに考えてみればむべなるかなというところがある。「いまウィトゲンシュタインの書いたものを読んで得られるもののひとつは、そこで言われていることが一般的に応用が効くかどうかはべつとして、それ自体やっぱり面白いということでしょう。」(179〜180引用)という言葉には強く頷かせられる。やはり、あの文章、あの姿勢には人を捉えて離さないものがあるのだ。
また、「哲学言語を作る――近代日本の経験から」も非常に刺激的だった。学術における中心言語として英語が伸張している今大事なテーマだろう。哲学のための日本語がつくられたことはおそらく我々にとっては非常にありがたいことだった。今我々が普通に哲学に関して議論できるのもそのおかげである。しかしそれによる弊害もあったという。その一つである哲学用語が日本語となることによって、理解の錯覚が生まれるというのは耳に痛い噺だ。
文中では英語の専門用語が日本語へと翻訳されていない事例として「こころの哲学」が挙げられていた。私は今までこの辺りを勉強してきたので、どうしても観点が固定されてしまい、用語の翻訳をせずに考えていることもあったし、それに対する意識も薄かった。こうして客観的な立場(筆者の専門は言語哲学である)からの指摘を受けてみると確かにその傾向を強く感じざるを得ない。

 ウィトゲンシュタインを読み直したいなと感じました。
 いい本でした。皆さんもぜひ読んでみてください。

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