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#178 サンガ30周年記念 京都サンガFC検定2024 解答と解説



先日、ブログの方で更新した「京都サンガFC検定2024」の解答と解説です。

問題はこちら↓


Q1→③
正確な住所は「京都府亀岡市亀岡駅北1丁目8番地2」である。

Q2→④
正式名称は「京都サンガF.C.東城陽グラウンド」であり、通称でも「サンガタウン城陽」を名乗っている。

Q3→③
2007年のJ1で16位の広島との対戦となった。ホームの第1戦を2-1で勝利し、アウェイの第2戦は0-0で乗り切ってJ1昇格を決めている。

Q4→②
同年にはエンブレムも変更したが会社名は変更しておらず、2024年現在も「株式会社 京都パープルサンガ」である。

Q5→①
鹿島は同年のナビスコ杯を制しており、カップ戦二冠が懸かっていた。

Q6→②
81分に左サイドでボールを受けて鈴木慎吾にボールを当てると、リターンを左足で叩き込んだ。

Q7→③
2013年から2015年まで背負った。

Q8→②
①は2004〜2006年まで日本代表でつけていた番号で、③はガンバ移籍1年目、④は横浜フリューゲルスでの背番号。

Q9→①
2020年J2第2節磐田戦の28分に記録。なおウタカは初ゴールではなかったが、こけら落としとなったプレシーズンマッチでもサンガの2得点目を決めている。

Q10→②
J通算100得点は横浜FM時代に記録。その他の3人はいずれもサンガ在籍時に達成した。

Q11→②
1999年はシーズン途中の背番号変更が認められておらず、既に11番を藤吉信次がつけていた事から36番になった。ただし、天皇杯は別の背番号で登録可能だった事から11番で登録している。

Q12→②
2012年、2013年、2016年の3回。このうち、2012年と2013年は3位で出場しており、2013年は決勝に駒を進めている。

Q13→③
2016年は空き番号となっていたが、2017〜2018年は大型ルーキーとして入団した岩崎悠人が背負った。岩崎は2019年に札幌に移籍したが、図らずも同年に札幌に所属していた宮吉とトレードのような形で宮吉がサンガに復帰した為、2019年から宮吉が13番に戻っている。

Q14→③
2008年9月21日のJ1第25節の出来事。なお、この試合は当時の日本代表監督だった岡田武史氏が視察に訪れており、試合後に称賛するコメントを残している。

Q15→④
2011年大会の天皇杯決勝のFC東京戦で、前半13分に先制点となるゴールを決めた。試合は2-4で敗れている。

Q16→②
1998年よりヘッドコーチに就任したが、同年6月にオフト監督が辞任した事で監督に昇格。だが1999年6月に解任されている。

Q17→④
試合は最終的に2-0で勝利している。なお、2019年最終節の「13-1」も海外でも報じられている為、柏vs京都からは海外でも報じられるような試合が2つ発生した事になる。

Q18→③
2018年J2第10節熊本戦、一人少ない相手に終了間際の逆転を負けを喫して最下位に転落した試合後、サポーターとの口論の中で飛び出したセリフ。SNSや動画サイトで大きな話題になると一躍ネットスラングとして流行語になり、挙げ句の果てには「落ちひん」と大々的に書かれたゲーフラを作成するサンガサポーターも現れた。

Q19→③
4点ビハインドの38分に得点を挙げて4-1とした。なお小屋松は翌年から鳥栖に移籍し、2022年シーズンからは柏でプレーしている。

Q20→③
2000年6月に名古屋からサンガに移籍してきた為、サンガ所属選手としてアジアカップに出場。本戦でも控え選手ではあったが、稲本潤一の出場停止で決勝戦の先発に抜擢されると、28分に中村俊輔のFKに飛び込んで決めたゴールがそのまま1-0の決勝点になった。

Q21→①
ラスト2試合でで3位甲府との勝点差は6点開いていた為、引き分けでも昇格を自力決定出来る立場だった。

Q22→②
38試合で31失点という数字を残しており、J2最少失点を記録した。残りの3つの記録はいずれも同年のJ2を優勝した磐田が記録している。

Q23→①
武田は1997年、森保は1998年、黒崎は1998〜1999年に所属。森保と黒崎は1998年に就任したオフト監督に請われる形になった。

Q24→②
2006年10月から2007年10月まで指揮。美濃部はクラブ初年度となった1994年にG大阪から移籍し、クラブの初代主将としてJリーグ昇格に貢献。引退後も監督やコーチ、ユース監督を歴任し、2007年10月の退任までサンガで過ごした。
ちなみに美濃部は滋賀県出身だが、美濃部以外の3人は全員京都府出身者である。

Q25→③
2003年は最終節して5-1で敗れ、2006年はラスト2試合で対戦して3-2で敗戦。いずれも引き分けでも降格が決まる状況だった。特に後者はガンバにとっても引き分けだと優勝が消滅するシチュエーションで2-2のロスタイムにガンバが勝ち越す試合展開だった事から、ガンバ視点でも伝説の試合として扱われている。

Q26→③
金光大阪高等学校から高卒ルーキーとして入団。遠藤や手島らよりも1学年下である。

Q27→②
正確には当時のコンビ名は「T・K・O」である。なお、2019年から2022年までKBS京都で放送され、TKOの木本武宏氏がピンで司会を務めていた「週末ライブ キモイリ!」では番組内にサンガコーナーが設けられていた。

Q28→④
コンビは2011年を以って解散している。なお、TKOものろしも番組放送時は松竹芸能に所属していた。

Q29→④
4.5億円と報じられている。ちなみに水本は4億円、佐藤勇人は2.8億円と報じられていた。

Q30→③
パーサくんは1995年、コトノちゃんは2003年から活動を開始している。

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