#119 3位と4位
今でも強烈に憶えている。あれは私がまだサッカーをやっていた頃、小学生の時に参加した大会の事だった。
京都の小学生年代の公式戦に参加した私が所属していたクラブは、優勝候補でもなんでもなかったけどその大会で躍進を果たした。記憶が正しければ50クラブ以上は参加していたと思う。少なくとも、その年…その学年のメインイベントだった。
私達のチームは決勝トーナメント進出を目標にしていたが、その目標を達成してからが一番楽しかった。ベスト16、ベスト8で勝利し、特にベスト8の相手は強豪として名の知れたチームだったから、そんな相手を倒してのベスト4入りはチームにとって快挙だった。それなりに長い歴史を持つクラブの中でも歴代最高到達点だったし、コーチも父兄も、そして自分達自身もかつてない高揚感に色めきだっていた。なんやかんやで選手としてのサッカーは10年近く続けたけど、プロにかするどころかレギュラーすら取れない時期の方が多かった私にとって、レギュラーとしてベスト4まで戦えたあの2〜3週間がサッカー人生の中で一番楽しかったと今でも言える。ただ、私のサッカー人生の中で最も美しかった季節の結末は屈辱に塗られる事となる。
準決勝で対戦した相手は優勝候補と見做されていたチームで、相手の10番は小学生のくせして他チームにまで名前が知られているようなチームだったから、例えば賭けの対象にでもなれば2:8くらいで此方の分が悪かったのは誰もがわかっていた。わかってはいたが…1点差で敗れた瞬間に、今思えばあの瞬間に全員が「大会が終わった」と感じたと思う。厳密には3位決定戦があるにも関わらず。
迎えた3位決定戦、みんな勿論やる気はあった。無い訳がない。ただ、覇気はもうみんな無くなっていた。相手は準決勝の相手と比べても大して強くなかったと思うけど、準決勝よりまるで何も出来ずに試合は終わり、我々は4位になった。私自身も失点に絡んだ。
3位決定戦後に行われた決勝戦終了後の閉会式というか、表彰式にはベスト8進出を果たしたチームが出席する事になっていた。
この時点で僕らには自信というか自負があった。
僕らはベスト8ではない、ベスト4だ、4位なんだと。
変な言い方だが、ベスト8のチームと比べればチヤホヤされると淡い期待を抱いていた。
表彰式で、僕らのチームの名前が言及される事は最後までなかった。呼ばれたのは3位のチームまでだった。
4位である僕らは戦える最大の試合数を戦った。それは他でもなく、ベスト4まで進んだからである。
だが、一番肝心なところで負けてしまった。小学生年代の大会の多くは3位に入ればトロフィーが貰える。天国か地獄かという意味で言えば、3位決定戦は決勝以上に重かったのかもしれない。4強まで進んだチームの中で、僕らのチームだけがトロフィーも無ければ賞状もなく、名前を呼ばれる事さえもなく、ただただ他のベスト8勢と共に整列して拍手を送るのみだった。
あの大会はスポーツミツハシというチームが広告出稿という形で協賛していたと思うのだが、表彰式が終わった後…当時のコーチが保護者との雑談の中で口にしたのが聞こえた、3位と4位の差を嘆く冗談混じりの言葉は今でも強烈に憶えている。
「ミツハシの割引券さえもくれへんのか…」
ワールドカップやアジアカップの際にはよく「3位決定戦の意義」を疑問視する声が聞かれ、欧州選手権に至っては3位決定戦は開催されていない。準決勝に負けたという背景が絡むこともあって、3位決定戦はモチベーションを保つのに非常に難しい試合とされている。
だが、時に3位決定戦はこの上なく重い意味を持つ大会がいくつかある。今回のnoteで言うなら、上で述べた私が出た大会はまさしくそれでだった。3位にはトロフィーと賞状があるが、4位には何もない。そしてその最たる例がオリンピックだと言えるだろう。オリンピックの3位決定戦は世界で最も意味の重い3位決定戦だと思う。勝つか負けるかで「オリンピアン」なのか「メダリスト」なのかが変わるのだ。そして今、日本代表はその運命の一戦を控えようとしている。
4位に終わったロンドン五輪を経験した吉田麻也や酒井宏樹が度々語るように、これほどの重みを持つ3位決定戦で敗れる事は、メダリストである事は変わらない準決勝以上に傷を引きずる事になると思う。
仮に今日のメキシコ戦、負けたところで日本が素晴らしい闘いを見せたチームである事は変わりないし、負けたとしても私は惜しみのない賞賛を送りたい。ただ、だれがどれだけ褒め称えたところでそれは「健闘」という2文字に集約されてしまう。これほどのチームが「健闘」や「良いチーム」といった言葉で片付けられてしまうにはあまりに惜しい。健闘や良いチームといった抽象的な言葉を「銅メダル」という形に変えられるチャンスは目の前に転がっている。
仮に東京五輪が次にあったとしても、それは早くても30年後だろう。自分自身が東京五輪世代の年齢なので、他の世代以上の思い入れを感じている部分もある。記憶ではなく記録に、歴史の一部じゃなく歴史の舞台に残ってほしい。3位決定戦を前に思う事は、それだけである。
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