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#195 GLAYの新アルバム「Back To The Pops」に見る、GLAYの特異性とGLAYにしか赦されない「ルーツを辿る崇高なパロディ」



口唇とHOWEVERと、そしてなんといってもREVIEWの年に生まれた私も晴れて27歳。
26歳の時に発売された「Pianista」で《ある音楽家 思い詰める 27シンドローム》なんて歌詞があったが、なぜか音源ではなくライブで聴いた時に突発的にうっわ来年じゃねえかよ27シンドロームと思ってしまった末にである。


とうとう今年リリースした自分のアルバムにも「27SYNDROME」なんてタイトルをつけてしまった。
ド冒頭から自分の宣伝から入ったことで微妙に説得力が失せた音が聴こえる自覚はあるが……3〜4歳の時に親の車でDRIVEやONE LOVEを延々と聴いていたあの時から、自分の音楽史なるものの全ての基点には間違いなくGLAYがあった。
それが自分の音楽史であるのならば、人には人の音楽史があり、グループにはグループの音楽史がある。そしてそれは我らが憧れる今の時代をときめくカリスマミュージシャンにも、歴史を彩ったレジェンドにも、総量の大小の違いこそあれども等しく存在するものでもある。
「自分にとっての正しい音楽史」という言葉は前作FREEDOM ONLY発売時にTAKUROさん(以下全員敬称略)が各媒体のインタビューで語っていたが、今回のBack To The Popsはまさしくその象徴で、言うなればある種の「ルーツを辿る崇高なパロディ」だったように思う。
はい、という訳でTHE FRUSTRATED以来人生 2度目のアルバムレビューを書きます。



あくまで私自身の感想であって、実際にメンバーが意図的に設定している訳ではないだろうが、昨今のGLAYの楽曲制作は3つの軸を行き交うようにして制作しているように感じる。
一つは「これまでのGLAYと異なる角度からのプッシュ」とでも言うべきだろうか。近年、タイアップ曲やシングルA面曲にTAKURO以外の3名の制作楽曲が使用される事が多くなった事は今に始まった事ではないが、近年は特に「今までGLAYがやってこなかったアプローチ」にフォーカスを当てており、そういう曲を意図的に推しているようにも感じる。JIROが手掛けた昨年の「THE GHOST」なんかはその典型で、2019年の「Into The Wild」も然りだろう。別にこれはイメージチェンジや方向転換というではなく、GLAYとしてのスタンダードの数を増やすというだと解釈している。
もう一つは2022年の「Only One,Only You」や前々作のアルバム「NO DEMOCRACY」に顕著な、社会に対してどうメッセージを投げるべきなのか…TAKUROの言葉を借りれば「50を過ぎた大人としてのマナー」みたいな側面。特に近年のシングルではTERUやHISASHIの楽曲がポップな側面を担う機会が多い分、TAKURO楽曲が推し出される際にはこのニュアンスの活きているものが多い。

で、今回のアルバムに色濃く出ているもう一つの軸は、メンバーも各インタビューで語っているように「過去に完成させきれなかった楽曲を今の技術力で完成させる事」と「J-POP及びJ-ROCKへの回帰と継承」というところである。思い返せば、そのテーマと似たような事は前作「FREEDOM ONLY」に関連したインタビューの時点でも語られていた。
1997年生まれの私はその時代をリアルタイムな肌感覚では知らないので、後から覚えた情報と想像でしか語れないのだが、音楽の道に進むかどうかを問わず、GLAYと同年代の世代が青春時代に生きた音楽シーンはいわゆるそれより一つ上の世代がよく語る「洋楽コンプレックス」なるものから脱却し始めた世代だったと言える。同時に日本の中でジャンルが多様になるにつれ、これが情報に溢れた東京や大阪のような都市部になると、例えばロックをやっている人間はシティポップに抵抗があったり、逆にアイドルファンはロックに抵抗を持っていたりというある種の棲み分けが顕著になる。それこそ東京でバンド活動なんてしようものなら尚更で、もちろんそれぞれに個性はあれども、それこそ「V系」がそうであるようにどこのジャンルに所属するかで方向性がハッキリしていたのはそういう棲み分けの線引きが今以上に極端だったところはあると思う。
それに対して、GLAYがスマホもインターネットも無い時代を生きた函館に入ってくる東京の音楽情報は先鋭化した様々なジャンルの楽曲というよりも、基本的には歌謡曲であったり当時のポップミュージックだった。つまるところ、そういう環境で育ち、そういう音楽にも魅せられる過程を踏んだGLAYは、ジャンルが忌避しがちなロックから見たポップ、或いはポップから見たロックに対する抵抗が無かったように思う。

それは自分が聴いてた音楽……最初の頃は、それこそビートルズが好きで、それと同時に松田聖子をはじめとするアイドルも好きで。そしてその松田聖子の後ろにいる作家たちの曲を……はっぴいえんどとかも掘り出して。で、のちにTHE BLUE HEARTSもBOØWYもレベッカもすべて自分の血となり肉となったし、だけど尾崎紀世彦の「また逢う日まで」も好きで聴いてたし。それこそオフコースもチューリップも、南こうせつも松山千春も聴いてるTAKURO少年としては、そのすべてが 歌謡曲やポップスというくくりだったんです。それはもう(ストリート・)スライダーズですら、ローリング・ストーンズですら(笑)。

<インタビュー>GLAY・TAKURO、3年ぶりアルバム『Back To The Pops』でルーツ回帰――「ゴールを目指すための手助けをするのは、ポップソングのある種の使命だと思う」


この時代のアーティストが自分のルーツや好きな音楽を語る時に、BOØWYやTHE BLUE HEARTSと松田聖子が同じ文中に語られる事はほとんど無いんじゃないか。同時にそれは、函館という同じ街に育った4人がそれぞれに持ち合わせていたバックグラウンドでもある。
「育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ」とは山崎まさよしの有名な歌詞だが、言ってしまえばGLAYは「全部好き!」みたいなところから音楽性が構築されていったように思う。要は、趣味を取り込める横幅が途轍もなく広く、そしてそれをそれぞれが持ち寄り、バンド内で消化し、昇華させるだけの相互関係を持てているというところがGLAYのポップさ、ロック感を両立させているように感じる。同時にそれが、ある程度方向性や毛色がハッキリしていたV系というジャンルの中でGLAYがやや特殊な立ち位置だったところだとも言えるだろう。全体的にダークな音楽性と妖艶な世界観を持つV系の中ではより世間のヒットチャートに近い王道で親しみやすいサウンドを誇り、逆に世間にとっては触りやすくもヒットチャートの中で存在感のあるロックサウンドに聴こえる。音楽活動の為には黒か白かに自然と染まりゆくものだった時代の中で、文字通り黒でも白でもなく全部を取り込むスタイルは日本の音楽業界の中で誰よりも特異で、それが転じて誰よりも普遍的な絶妙なポジショニングになっていた。逆に言えばこれだけのキャリアを積んだ今になってまだ「THE GHOST」のような方向性に挑める事もその証左なのだろう。メンバー個々にそれぞれの音楽性はあるとしても、GLAYとしては固有の音楽性を掲げない事が全てを取り込める余地になっていた。敢えてGLAYの音楽性を挙げるとすれば、HISASHIがよく言うところの「結局どんな曲を作っても、TERUの声が乗ればそれがGLAYになる」というところなのである。


そして、今回のアルバムでTAKUROがほぼ全てのインタビューで言及していたのが、このアルバムの楽曲のアレンジにはかつて憧れた音楽のオマージュであったり、その空気感や手触りをGLAY流の解釈で継承していく…というところである。
この部分に関しては前作のインタビューでも語っていたので、前述のように近年のGLAYをどう動かすかに於けるひとつのテーマなのだろう。

「Back To The Pops」という作品における鍵はアレンジなんです。歌詞とメロディに関しては今までと同じ書き方をしてる。でも、アレンジは80年代、90年代の自分たちのフェイバリットを意識するようにしました。90年代のデビューしたての頃は、自分たちのオリジナリティを確立しなきゃいけないと考えて、あまり人のフレーズからインスパイアされるのをよしとしてなかったけど、大人になってブルースやジャズを聴き、自分でも演奏するようになると、オマージュや引用が一般的なことだとわかった。継承とも呼べる行為なわけです。そういうことがあって、自分が聴いて、作ってきたJ-ROCKやJ-POPに対してもっと胸を張っていいんだという気持ちも生まれたし、それを後世に伝えていかなきゃいけないという責任感や使命も感じるようになったんです。その思いやJ-ROCK、J-POPへの憧憬を、俺とHISASHIで今回のアルバムにものすごい詰め込みました。

GLAY特集 TAKURO & JIROソロインタビューで紐解くニューアルバム「Back To The Pops」

だから今度のアルバムでは、もう自分が好きな、楽しい曲、心踊る曲をやろうと。ことアンサンブルとアレンジに関しては、あの頃の自分をワクワクさせたアーティストたちのエッセンスをとにかく取り入れたかった。
(中略)
俺も大人になってジャズやブルースを聴くようになって「音楽の継承は正しくされるべきだな」と思うようになったけど、音楽の世界では誰に何言われるでもなく、そうなっていってるんじゃないかな。過去の音楽を楽しみながらここまで取り入れようとしたのは初めてですね。オリジナリティのために「GLAYサウンドとは」みたいなことを常に考えてきたけど、どうあってもお里は知れるというか。

<インタビュー>GLAY・TAKURO、3年ぶりアルバム『Back To The Pops』でルーツ回帰――「ゴールを目指すための手助けをするのは、ポップソングのある種の使命だと思う」

俺ももう50歳で、あと何年、GLAYをやれるか分からないけれども、この25年間で作ってきたGLAYの楽曲は、まごうことなくJロック、Jポップの片隅で生きてきたもの。今、世界に通用する新しい音楽を日々、耳にしていますが、俺がこれから担うべきは、自分たちがやってきたJロック、Jポップをより進化させて、それを喜んでくれるかもしれない地球の裏側の人たちに届けられるまで頑張ることで、“ちょっとJロック、Jポップを背負ってみたい……もうそういう齢なのかもなぁ”と思ったんですよね。だから、あちこちに、分かる人が聴いたらクスっと笑っちゃうだろう、1980年代からの日本のロックのエッセンスがクイズみたいに隠れてて……それは言葉にしろ、アレンジにせよ、音にせよ、そうで。そうしたアーカイブ的なアルバムを作りたいなと思ったんです。それがGLAYの歴史でもあるしね。

多様性や多面性にとどまらない多層性 FREEDOM ONLY その多層性


これらを踏まえた上で、各媒体やGLAY公式サイトのインタビューを読むと、安全地帯やZI:KILL、レベッカ、B'z、ユニコーン、THE WILLARD、ZIGGY、Mr.Children、スピッツ、大沢誉志幸……実に多くの、そして多岐にわたる具体的な固有名詞が発想のエッセンスとして挙げられていた。

音楽に限らず、作品とはある種のタイムカプセルのようなものだと思う。昔の映像作品を見る時の「現代においては不適切と思われる表現がありますが、製作当時の時代背景や、原作者、製作者の意図を勘案し、オリジナルのまま放送させて頂きます。」なんてフレーズは現代では見慣れたものだが、当時の流行りも、現代では良しとはされないものも、そのままパッケージに閉じ込めて10年後、50年後の人間が開封する。それを見る瞬間が2024年だろうが2050年だろうが2100年だろうが、その映像は座頭市なら1962年だし、羅生門の映画なら1950年なのだ。そしてそれらの作品に魅せられた人が様々な要素を取り込みながら1970年の作品をつくり、1980年の作品をつくり、今日に至り、未来に繋がれていく。音楽であればそれが音源であり、シングルであり、アルバムという事になる。

Back To The PopsでGLAYが表現した「継承」は言わば、血肉となったルーツを解放し、そこに自らもJ-POP/J-ROCKの一部を担ったGLAY自身の色を下敷きにするという、J-POP/J-ROCKに対するGLAY流の再解釈と分解、そして再構築の賜物をパッケージとしてタイムカプセルに詰め込むことのような感覚を覚えている。そういう作品をつくることも、ある曲のアレンジに対して「この曲のイメージは安全地帯+ZI:KILL」とハッキリと言えることも。ある意味、Back To The Popsは「全部好き!」というルーツをもってして時代と環境から生まれて来たGLAYにしか赦されない表現方法であり、GLAYにしかつくれないアルバムだったように思う。言ってしまえば「ルーツを辿った崇高なるパロディ」みたいなものである。
それらの全てを吸収できる音楽的な懐の広さと、それらをGLAYの作品としてまとめあげて昇華できるバンドマジックと、それに足るGLAYそのものの説得力と……。今を詰め込み、過去に戻り、未来に戻る。そういう事を考えながら再びアルバムを開いた時に、そのタイトルが《Back To The Pops》である事には強烈なカタルシスさえ抱いてしまう。そのカタルシスがもたらすエクスタシーはおそらく野蛮からは最も遠いところにいる。



で、GLAYが30周年を迎え、そういう過去のルーツに対するオマージュとパロディを詰め込んだようなアルバムを発表した2024年、いわゆるGLAY世代として育ったゴールデンボンバーが発表した新曲は徹底的にGLAYをパロディし倒したようなアレンジの楽曲だった。
今作でGLAYが過去の憧れを対象としたように、GLAYもまたその対象なのだろう。歴史と時代は誰かが1人で築くものではなく、流れ着いた先に積み上がった蓄積なんだと思う。

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