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#114 宮本恒靖監督退任

基本的に、メインのはてなブログでサッカーについて書く時はちゃんとサッカーについて書こうと思っている。そう考えると、今が一番noteを解説しておいて良かったと感じているような気もする。
宮本ガンバの…実質3年?これをどう捉えるのか、これからどうなるのか…は、ぼちぼちはてなブログの方で更新するけれど、その前にこっちで感情的な事を吐き出したい。

まず、自分にとってはシンプルに不意打ちの感覚を覚えていた。もちろん今の成績がある以上、続投派であったとしても解任のカウントダウンが始まっている事を否定できた人はいないはず。ただ試合間隔の理由もあって、解任があるとすれば5月16日の浦和戦後か、或いは6月2日の湘南戦の後のどちらかだと思っていた。だから呑気にあんな感じのブログも更新しちゃったしね…。広島戦の後のインタビューの雰囲気を見る限り、宮本監督の方に色々な意味での限界が来ていたと見受けられる部分もあったのかもしれない。


少しだけ身の上話をさせてほしい。初期のnoteでも書いたが、そもそもなぜ私がガンバを見始めたのか、応援し始めたのかという話だ。



京都に住み、サッカーに興味を持ち、サッカーを実際に始めた時点で、遅かれ早かれ地元のチームである京都サンガは応援する事になっていたと思う。問題はなぜそこからガンバファンになったのか…だ。
両親は元々、どこかの熱狂的なファンという訳では無かったのだがサッカーはそれなり好きだった。尚且つ、それなりに詳しかった。だから日本代表戦の日は高確率でTVのチャンネルが合わせられていた。それまではBGM程度に、盛り上がる両親を遠巻きに見ているだけだったサッカーを、しっかりとサッカー見るぞと意識して初めて観た試合…それがドイツW杯最終予選、無観客のバンコクで行われた北朝鮮との試合だった。
あの試合の主役は大黒将志だった。そして、W杯出場を決めた日本の輪の中で実にエレガントな振る舞いと立ち姿でキャプテンとして君臨していたのが宮本恒靖だった。サッカーの「サ」の字に手を掛けようとした時、目に留まったこの2人が同じチームである事を知る。どうやら、途中から出た遠藤保仁という選手も同じチームらしい。小学校2年の6月、これが初めてガンバ大阪に触れた瞬間だった。
それから1か月して、サンガを中心にじわじわとJリーグを見るようになった私だったが、まだJ1というものを見た事は無かった。そんな時、番組表には「ガンバ大阪vs東京ヴェルディ1969」という文字が見た時、私はガンバってあの…?と思いチャンネルを合わせる。未だに時々思う。あの日、ヴェルディが勝っていたらどうなっていたのか、あの2人が他のチームの選手ならどうなっていたのか、或いは主将や得点者が別の誰かなら、果たして自分はガンバにチャンネルを合わせたのだろうか…と。

サッカーを始めた私はその後、練習試合で着用するユニフォームを巡って同じくツネ様ファンだったチームメイトと5番を取り合ったりもした。ガンバファンになったきっかけはあの真夏のヴェルディ戦だった訳だったが、そのヴェルディ戦を見るきっかけを作ったのは宮本恒靖、大黒将志、遠藤保仁の3人だった。それがその後の16年、おそらくこれからもそれ以上に続いていく道のりの始まりだったと思うと、当時はそんな深く考えたりなんてしなかったけど、人の運命って些細な事で決まるもんなんだなと思う。そんなところでそれを感じるなと思われるかもしれないが…。


ツネ様を入口にそこからはしっかりこってりガンバファンになった。一つのクラブを応援する以上、最大の夢は勿論ガンバの好成績であり、そしてタイトルになる。そしてそこに小枝のように副次的な夢が生まれるものである。「攻撃的なサッカーがみたい」とか「若手の躍動がみたい」とか「代表にいっぱい選ばれてほしい」とか。自分にとってそれは「代表監督・西野朗」と「監督・宮本恒靖」だった。

2018年7月、確かに「このタイミングかよ…」とは思ったし、状況が状況ゆえに不安は大きかったけど、それは確かに一つの夢が叶った瞬間ではあった。それが上手くいくかどうか別としても、宮本監督と遠藤保仁は「絵」としては一度は見たかった絵だったから。
不運な面は多かったと思う。これに関してはブログで書くつもりだが、やりたい事がわからないと言われがちだが、宮本監督が目指すサッカーは本人の頭の中ではあったと推測している。でも2018年はそんな事言ってる場合じゃなかったし、2019年は形になりかけたところで主力の総入れ替えが発生。それでも終盤に再び形が見えてきて、それを基に2020年、そして2021年だったんだけど……


解任に反対する気はない。
ブログではそこまで考えて解任論を唱える必要はないけど、少なくともクラブは解任するならある程度のアテを絞ってから解任してくれとは思っていたので、その辺りがどうなってるんだろうという疑問は多少あるが、全ての計算が狂うアクシデントが発生したとはいってもこういう結果・順位になってしまった事、今のガンバが悪いスパイラルにハマっていた以上、解任そのものは致し方がない。浦和戦までは待つと思っていたと書いたが、仮にそうだったとしてもそれは延命に過ぎなかったと思う。
ただ、そういうスポーツ的な、サッカーとしての考え方から切り離した本音を言うならば……喪失感はかなり大きい。在任中…数時間前までは無意識的に考えないようにしていた。でも今、いざ解任というリリースに直面して、ずっと前から抱いていた長い夢が終わったような気分である。選手の退団と監督の解任は帰る場所という意味で重みが異なる。

宮本監督は今日、本当に意味でツネ様に戻った。ツネ様がここから先、どういうキャリアプランを志しているのかはわからない。別のチームで監督をするのか、解説業をこなすのか、サッカーやクラブに対してフロントやビジネス的な側面を目指すのか……。今思うのはただ一つ、またツネ様とガンバがどこかで、良い邂逅がある事を願うしか出来ない。

2018年に残留出来たのは間違いなくあなたのおかげです。合計3シーズンですか……本当にありがとうございました。まずはゆっくり休んでください。

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