小6が全盛期だった話
今回はもう10年以上も前になる小学生の時のお話。僕が一番輝いていた時期のお話をします。
以前のnoteにも書いたが、とにかく真面目だった自分は誰よりも良い生徒だった。成績もほとんど一番だったし、先生の評判もとても良かった。友達もたくさんいた。
ただ、それは1年生からずっとそうだったわけではなく、6年生の時が全盛期だった。
正直なところ、小1の時は学校が嫌いで。毎日行きたくなかった。
それにはアホらしい理由があり、給食が嫌だったから。
僕は小さい頃からずっと少食で、給食も多くは食べられなかった。しかし、その時の担任の先生は「給食全部食べなさい」的な先生で。毎日毎日居残りで食べさせられたのを覚えている。
そして小2になって担任も変わり、僕の人生も始まる。
その時の担任の先生は音楽の先生だった。クラスでも毎日歌を歌っていたような気がする。そして春も終わる頃に、合唱部のお誘いがクラスに配られた。ちょうど担任の先生が顧問だったこともあり、僕のクラスだけで10人以上入部していた気がする。
そもそも小学校内に部活動的なものがあるのが珍しいのかな? 毎朝1時間目が始まるよりも前 (7時半とか)に練習をしたり、休日の午前中に練習をしたりしていた。みんなよりも自分の時間を削って合唱部をしていたのは、ただみんなと歌うのが好きだったからだろう。
結果的に僕はこの時から現在まで、ずっと音楽をやっている。
合唱部には2~6年生の生徒がいて、各代20人前後で合計100人弱いた。僕の代も最初は25人くらいいた気がする。
ただ男女比はかなり差があり、男は全体の10%くらいだった(声変わり前なので、パートに問題はない)。でもだからといって不自由を感じることは全くなく、合唱部を通じてクラスや世代を超えたつながりも生まれた。
合唱部のイベントとして、校内で定期的にコンサートをすることはあったが、何よりも大きなものはNHK全国学校音楽コンクール(Nコン)だった。選抜メンバーで全国一位を目指してコンクールに毎年出ていた。
つまり、そのために40人弱のメンバーを選出しないといけない。オーディションが行われるのだ。
通常6年生がほとんどで、下の学年はほぼ出る幕はない。ただ、僕が小4の時から3年間、選抜メンバーに選ばれ続けた人が4人だけいた。僕もその中に含まれていた。合唱部の中でも比較的上手い生徒であった。
一方で、あまり歌うのが得意でなく練習にもあまり来なくなり、結果的にやめてしまう人も結構いた。僕の代も10人弱は続々とやめていき、最高学年の小6になった時には18人になっていた。
男女比は1:17だった。
最高学年になったということで、部長などの役職を決めなければならない。18人で話し合って決めるのだが、結果的に僕が部長になった。もう1人出席率もよくて歌も上手い女の子もいたのだが、少し性格に難あり?だったので、ほぼ満場一致で僕になった。男1人で17人の女の子を率いる構図ができてしまった。
この合唱部では、後にも先にも男子の部長は僕だけだったらしい。
今思えばよく1年頑張れたな〜と思う。まあいろいろ苦悩はあったけど、誰1人やめることなく18人で卒業出来た。後輩もたくさん慕ってくれていて、卒業パーティがとても楽しかったことも覚えている。
小学校の卒業アルバムには、真ん中に僕がいて周りに17人の女の子がいるいかにもハーレムな写真が残っている。
合唱部での活躍はその外にも影響が出ていて、担任の先生からも信頼されていたように思う。他の人がふざけるとすぐ怒られるようなことも、僕がふざけると逆にみんな笑ってくれて。今思えばいやダメだろってくらい贔屓されていたなあ。
おまけに、そのころの僕は恋愛には疎かったけれど、誇張でもなく10人以上の女の子から好意を持たれていた。人生最大のモテ期だった。多分もう来ない。
最後の卒業式でも、校長先生が僕の卒業文集を全校生徒の前で紹介してくれた。これほど嬉しいことはない。
とまあこんな感じで、小2で合唱部入ったことをきっかけに小6で全盛期を迎えることができた。あの時担任が顧問の先生じゃなかったら今の僕はなかったかも。
小学校からの付き合いの人なんて今ほとんどいないけれど、自分にとっては大学受験と並ぶくらい大事な時期だったな。10年以上続けている音楽は、これからも愛していこうと思う。