そのままのせた 言葉がつながらない思いただそこにかく
フラッシュバック注意
支援に繋がることができないでいきた18年
【支援に繋がれない子供の時】
裸足で季節の割に夏の格好で走って逃げている。街の道路を殺される。怖い。
父にカウントを数えられた
父のゲームが始まった。
殴られるか 首絞められるか
ハサミをあげて髪を引っ張られるか
新しい何かをされるかもしれない
殺されると思った
14の10月私は
児童養護施設に一時保護された。
おはようと
挨拶されると
朝怒鳴られる 殴られるから始まる朝の癖で
おはようと施設のお姉さんが挨拶をすると
ドキッとした
そして机に私のためのご飯もある。
家に帰ればただいまもある。
家に帰って瞬間怒鳴られたり暴力がない。
施設にずっといたかった。でも
君の家は幸せだ
と
児童養護施設の一時保護の施設長に言われ私は15から今でもその言葉を振り払うためにくるしい。
家は地元で長くお店をし、市議会議員もし
すごいとされてきた。
施設の施設長と父はつながりが強く
保護されても
私の味方はそこの施設にいなかった。
そのために
家に戻るが
家にいれず
家に帰りたくない
その後、
おいつめられていく。
虐待が命の危機的になっていき
一番人に伝えた言葉です。
でも周りは施設に帰してくれない
そこから18まで。
誰も助けてくれない
18で何も持たないで家をでる。
この社会で20年前 大検合格だけで社会のことを何も知らない。
私は親に頼らないで一人で生きる覚悟をした。そこからが本当に支援がなく傷つくし絶望もするし、大変だった。
今の私を見て
支援につながって羨ましいというが
私から見たら
そこにいるあなたと比べる必要はないけど
私と同じ人生を生きるなら
自殺か殺されてるよと言いたいくらい
ボロボロなっても支援がなかったよと言葉にしたい
今のつながりは人生を全てそこのかけての支援のつながりだ
何回も助けを求め諦めないで傷つく繰り返す。でも何度も何度も支援をたどりつけないけど
一つは家からでる支援がかなり苦労した
11歳から18歳までもがいて苦しんだ
諦めた頃家にもう戻らないといけない18歳でもう施設に行けないとなった頃
私は
自立援助ホーム 弁護士さん に繋がれた
それで行き止まってた流れが
家からでる流れに急になれた
この二人というか
それまでに諦めないで周りの大人
に助けを言葉にできなくても
くるシイを聞いてくれた13歳から私が
友達を作るパワーがなくて家での苦しいことを聞いてくれた
元中学の先生がきっかけをくれて
その先生の知り合いで私の苦しみを助けようとしてくれた不登校の居場所をしてるおとながいてくれ
それに繋がる知り合いの施設の心理士さんのアドバイスがあり
14歳の時に一度児相にかかりその経歴でなんとかなると19歳になる春保護された。一瞬でなく13歳から諦めないで18歳まで助けをまとめた自分がいたからあの家から出れたと思う
支援がなければ
私は連れ戻され家に監禁されてた。それくらい制限をずっと受けてきた家でした
最後に支援 受けるために
家からでるは いいないてくれて
社会的養護出身はいいなでなく
そう言われる
と誠に腹が立つ
支援が得られるのいは
生ぬるい世界ではなく。
声を張り裂けそうなくらい叫んで求めても響く壁に遮られる世界しかなく
命が危ない
それが隣にあっても救われなく
ずっと
相談に繋がれなった。
助けての世界しかなかった
想像がつくだろうか?
この全てのつながりがなければ私は、父に殺されてたと思う。
家から保護されても
そのあとも第3の支援は社会で生きてつまずくときの後ろ盾のない 一人でで生きるしかなくその支援がなくもがいていきた20代30代だ第二の支援は自立援助ほーむの生活だ。 支援者 社会的養護 それはいいなではない。 比べるものでもない。人の苦しみなんて比べ合うものではない。 これがあったらいいなで、想像して作るそれしかない。 私は高校に行けなった。義務教育も受けれないような家だった。兄は慶応ボーイ。家は薬局。大手の新聞社の代表が親族。でもそこの私の苦しみは 支援者がいる今ののんびりの私ではないのだ。いいなと言わなないで。苦しいならあなたもいいなでなく覚悟して助けを得ればいい。
私の話を聞かないで私を見下してる馬鹿にしてる人私を暴力的に軽蔑してる人へ
虐待された人は 可哀想でなく 弱くものく 強いです。人を先入観でこうだと見て助けてあげなきゃと思って勝手に自分を推してきて私を尊敬から入ってをしいのです。
今ままでよくいきたねと
助けが必要なくらい弱いのではなく
私はアクセルとブレーキを同時に踏み込んで生きていきすぎて助けが必要に今だけなっただけで
生きるスキル仕事のスキル人間関係のスキルはあるし 自分のことはわかっている一人でいきつずくたのだからですよ
掃除をするのを頼まれても販売員のスキルは銀座の店員だったし 今の出会ったひとは私を 幼稚園児のように馬鹿にして腹がったている。
では長い分でした
支援 うけ障害で苦手を押し付けれ誤作動しそれだけで 除外されてく人間関係にいて 支援を受けてるだけで 酒にっ誘われなかったり 本当に腹立つんです。20代で50代でなんとかしてるストレスで
私をなんか生ぬるい世界に生き続けたように見つめられるときを感じるけど。
人として対等にそこにブンジでいれてないまだそんな町だ
言葉で伝わりはしない。
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