ぶんじ寮でわたしがいることでいやだったこと
人へはいいことをつたえたい
でも
私はあえて
街でくらし
町の寮にいるやくわりとして
ハンディキャップをもつ
虐待の後遺症でずっと
ぶんじの街で寮でこのハンディキャップを若者に
ばかにされたように接しられて傷ついてきた
そんなものはどうでもいいけど
生きてるのだ
人間関係を閉ざされた心で生きてきたので
自我も他人の境界も全て学びを奪われてきた
それをこえてないけど
学び隣にそれをおきわたしで
失敗しながら
町の寮にいるのであえてこちらを文にした
障がいをもつ
他の人ともめたので
いやなことを
文にした
そこからうまれてくる
原石のゴツゴツしたもののやり取りから
縁が取れて
まるくなり
川の石が海へ流れていくと
ことが磨かれることもあると思う
この数年のぶんじの街、寮で嫌だったこと
人間関係で相手が不満に思う時、私に言葉交わすでなく、私のいないところで、あとはみんながみてる第三者巻き込んで
わたしを批判する傾向に
意見を押し付けて
もってこられるコミュニティが怖かった。
私を大切にした関係、問題を私とあなたで話し合うでない
わたしはとてもなんか違う意図を毎回感じて話しをするのがとても怖くなってしまうと一対一を大切にしたいのにできない悲しみがあふれた
言い聞かせてやろうみたいに感じた
相手の意見におしつぶされそうに、攻撃に感じそれに返し私の気持ちを言えば押し黙り、作為的な反応を起こされてしまうことがとても怖かったし悲しかった
第三者を巻き込んで悪口をいう私を悪い印象にひろげる。挨拶してもわざと無視をする。態度であらわすなど。
作為的がとてもこわかったから、わたしは守る行動になって苦しんでたんだな。対等、自己責任、卒直、誠実、正直な心の姿勢がどこにもないと私は、どこか暴力に操作されてしまう感覚になり怖くて話し合いをさけたぶんじ寮の話をしてくる人たちが話し合ってくれないという視線がわたしへの不満が怖かった
これはぶんじ寮の人への批判ではない
私の中の起きてた混乱がようやくアサーションの本を読んで解けたので言葉にしてみた
これがおこったことは
私の責任でもある
でも
環境から生じた
嫉妬からうまれてたならばどうだろうか?
相手の心は読めない。
初めからうまく会話がやりとり雑談お互いにして仲良くしようと近づけない関係は?どうしたら良いのだろうか?
そこを次に考えてみようとおもう
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