サラエボの日
1914年6月28日。オーストリア=ハンガリー帝国領、サラエボ。
僕は小さなカフェから、窓の外で道路にずらりと並ぶ人々の喧騒を眺めていた。彼らの目当ては、オーストリア大公フランツ。皇位継承者の姿を一目見ようと、あちこちから人々が集まっているのだ。
その群衆から少し離れたところに、挙動不審な男が一人。彼の名はムハメド。大公を暗殺せんと目論み、この場に集った過激派セルビア人グループの一員。この日暗殺に挑み、失敗したうちの一人として歴史に名を残している。
しばらく姿を眺めていると、彼のもとに男が近づいていくのが目に入った。彼も何回か前に出発した「較正者」に違いない。
サラエボ事件。第一次世界大戦の直接的原因となったイベントであり、その歴史的重要性に反して、針穴を通り抜けるような偶然の積み重ねで成立した奇妙な暗殺事件としても知られる。少なくとも、現代ではそういう事になっている。
僕の出発より数年前、研究者が事件の全容を知るため調査遡行を実施。事件と無関係な現地住民数名との接触の後、彼らが目撃したのは無事にサラエボを去る大公の姿だった。
以来、僕たちの世界は歴史の流れから切り離された。
世界を元に戻すには、時間遡行と修正を繰り返し、事件の成功を安定させるしかない。結果行われるのが殺人で、その先に待つのが歴史上最悪の戦争だとしても。
僕は店内の時計を確認し、予定時間通りに席を立つ。それを見計らうように、店の扉のすぐ近くの席から年若い女が立ち上がり、出口を阻まれた。
「……失礼、外で用事があるんだ」
「貴方は第18次の較正者ですよね?」
耳慣れない単語を口に出した女に対し、周囲の客の視線が集中する。それに狼狽する僕を見て何かを確信した女は、僕を店外へと引っ張り出した。
「おい……!」
「私は21次です。時間がないので端的に説明しますけど、貴方このままだと自分で大公を殺すことになりますよ」
【続く】
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