夫にリュックを預けたら
こんにちは〜😊青野です。
9月某日、夫と2人で低登山してきました。
パラパラと小雨の降る中、でも蒸し暑かったです。登山道の脇は、笹が刈り取られていて、地元の有志(山岳会、町内会のみなさん?)の苦労が忍ばれます。
私は、チェーンソーが怖くて使えない。
鎌は使えるようになりました。義理の母にいただいた物を、庭で使っています。
私、低登山、敗北であります。
標高600メートルそこそこの低登山なのに、景色が見えない登山道のツヅラ道で、気分が悪くなりました。
水も飲み、おにぎりもちょこっと食べて、バテないようにしていたのですが。
うん十年前は、楽勝で、あっけないな〜。と思ったぐらいでした。そして、登山道もずっと明るくて、広いイメージがあったのです。
私の記憶が良い所だけ残っていたようですね。
稜線にでるあと、ちょっとのところで、心臓がドキドキして、汗だくで、めまいの前兆のような感じがしたので、夫にここから、折り返しで、下山したい。と伝えました。
「顔色も悪いし、しんどそうだし、無理しないで帰ろう。」
と、言ってくれてホッとしました。
それで、夫がリュックを持つよ。
と、言ってくれたので、一瞬、迷ったのですが、お願いしました。
下山となると、にわかに元気になり、けれど、雨で地面が濡れて、滑るので、慎重に歩きました。
歩いていると、ふと、学生時代の山の記憶がよみがえってきました。北海道の南にある山で、下山していた所、温泉の配管ルートを登山道と間違え(誰が間違えたかは不明)遭難しそうになり、迎えに来てくれた仲間の1人(O君)が、
「ザック持つよ。」
と言ってくれたのです。
ですが、私は、頑なに
「良いよ。」
と言って断りました。
今でも、あの時の私を
「素直じゃない」
とO君が責めることがあるのですが、今ふりか返ってみると、あの時リュックを取られたら、私は、逆に動けなくなるのではないか?とか、リュックが私を支えてくれている気がしたのです。
不思議ですよね。何時間も歩いてクタクタのはずなのに。
そこで私は気付いたのです。
物を片付けられない、捨てれない人というのは、不安感が強いのだと。理屈では、頭では、物がない方がいいことはわかってはいても、不安と言う感情がある限り、重たい荷物を手放せないのだと。
YouTubeでもテレビでも本でも、スッキリ暮らすテクニックは、情報は溢れているけれど、綺麗にしても、汚部屋に戻ってしまう人がいるのは、そう言いうことか。と、過去の体験と記憶が私に教えてくれたのでした。
ひょっとしたら、汚部屋で悩んでる人がいたら、テクニックより先に、自分の不安感が何処からきて、それを軽くすることで、部屋も綺麗にできるのかもしれませんね。
それでは、また〜。