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孤独について。

持続可能な社会の実現にむけて避けてとおれない物理的なものと、持続可能な社会の実現にむけて避けてとおれない精神的なものと、自由と平和を根底にサステナブルな未来を目指す為のあれこれつらつらと綴ります。

 ソロキャンプに来ています。標高1400m超、日本のマチュピチュと言われるところ(嘘)で絶景を観ています。そして晴天に恵まれ、星々の瞬きや天の川にも出会えました。ほんの小ちゃなことですが、とても幸せです。

「ひとり率」?

 焚き火をして、星空をボーっと眺めていて、ふと思ったのですが、自分は「ひとり率」がすごく高い人だなぁと。息子や娘が小さい頃は家族単位で動いていたので、家庭のなかでひとりになる時間はあまりなかったのですが、最近はひとり酒、ひとり飯、ひとり旅、ひとりドライブ、ひとり野球、ひとり映画と、まあまあな「孤独」を味わっています。「子どもが大きくなったんだから、昔みたいに奥さんと二人で過ごせばいいのに」と言われることもありますが、彼女は彼女で、プレイング・マネージャーとして仕事がとても忙しく、そして充実しているようなので、あまり僕に興味を抱く時間は無いようです。いつかまた二人で旅行に行ったり他愛もないことをして過ごせる時が来るかもしれませんが、今はよく判りません。

 で「ひとり率」の話なのですが、僕は、途中フリーランスの時期もあったけれど、基本ずーっと会社員で、十年間ボランティアでスポーツのコーチもしてきて「人嫌い」でも「絶対ひとりでいたい派」でもないのですが、家庭の外では結構「ひとり率」がもともと高い人でした。最近、それは自分の生い立ちと関係があるのかも、と思っています。

「ほったらかし」という子育て環境。

 うちの場合、父と母が共働きで年中忙しくて、四人目の子どもともなると「子育てに飽きちゃった」感じもあって(笑)、他の兄妹に比べると自分はかなりほったらかしでした。今で言う「ネグレクト」というのとは違って、うちの両親に愛情がないというのでもなく、「この子は放っておいても大丈夫だろう」と自分のことを信じていてくれた?という感じです。
 
 僕の両親にとって、子どもが外遊びで怪我をして帰って来るなんてのは当たり前のことで、兄や姉でそれを散々経験しているので、ちょっとやそっとの怪我では全く驚くこともなく、ある時僕が右足を骨折して帰って来た時も、最初は「そのうち治るだろう」みたいな感じで放って置かれたのですが、時間とともにみるみる足がパンパンに腫れてきたのを見て父が「母さんこりゃえらいこっちゃ!」となって、ようやく病院に連れて行ってもらえました(笑)。その時、一粒の涙もこぼさず痛みに耐えていた五歳の僕も偉い! とにかく、日常的に両親にほったらかしにされていたので、それが普通のことと思っていたし、すごく寂しい想いをしたという記憶はあまりありません。
 
 中学生まで、母の仕事の都合で信州という山岳県に暮らし育ったので、身近に自然が溢れており、ほったらかされていた少年は当たり前のようにフィールドへ冒険に出るようになりました。釣りや登山(小ちゃい頃は探検)、自転車でオフロードを走る、といった自然を相手に遊ぶことが多かったです。時には幼馴染と、時にはひとりで。そんな生い立ちなので、社会人になるまで「孤独」ということをあまり深く意識したことはなかったのですが、最近「引きこもり」や「いじめ」「孤独死」や「自殺」といった「孤独」が大きな社会問題となっていて、それを引き金に自死や犯罪にまで発展するケースもあり「孤独って一体何なんだろう?」と、あらためて「孤独」を意識しました。

「ひとり」を不思議がる不思議。

 で、僕自身は「ひとり」というのが比較的苦にならないタイプなのですが、よく、ひとりで飲むとか、ひとりで旅するとか、ひとりでランチとかしていると、とにかく「ひとりって寂しくない?」「孤独を感じないの?」と聞かれたりするんですよね。「何か困った時でも人に相談しないの?」と聞かれる時もあります。人によっては「寂しい人」「孤独な人」「変わり者」って思う人もいるみたい(笑)なんですが、本人は人並みに悲しんだり寂しかったりもしますし、でも、どこかで「ひとり」ってそういうことなんじゃないの? と思っていたりもするので、なぜみんな「ひとり」をそれほど不思議がるのかが不思議でした。何かの壁にぶち当たった時、まずは自分ひとりで解決できるのならば解決しようと努力はしますが、何がなんでも人には絶対頼らないってことはないです。そんなに強い人間でもないので。
 
 だから「ひとりって寂しくない?」「孤独を感じないの?」と聞かれるたびに、えっ、世の中における「ひとり」ってそんなにマイノリティなんだぁ、そんなに特殊なことなんだぁ、という感じで驚きました。それと、みんなどこかで「孤独」を非常に恐れているように感じました。僕は人それぞれ考え方やスタイルが違って当たり前、そしてそれでいいと思っているので、人から「変わり者」扱いされてもあまり気にしない(ちょっとは気にする)のですが、このところの「孤独」をとりまく環境というか、SNSやメディアの反応、インタビューなどから聞こえてくる「巷の声」みたいなものを聞いていると、あれ?ちょっとぞっとするぞ、なんか怖いぞ、と思うんですね。「そもそも人とコミュニケーションが取れないからあんな犯罪を起こすんだ!」とか「協調性がないから嫌い、怖い!」とか「自分勝手過ぎ!」とか「ひとりで死んでくれ!」とか「自分の近くにいて欲しくない!」とか「いじめられる奴にも問題がある!」とか。要するに「孤独は悪いことを起こす根源!」的な叫びの連鎖が続いているという事実です。

世の中の常識とココロのすれ違い、
孤独ブラックホールを恐れる人々。

 僕のように、そもそも「ひとり」があまり苦にならない(というか ”どうしようもない” と受け入れている)人もいれば、逆に、どちらかといえばもともと協調性があるほうで、何かをきっかけに協調や仲良しこよしが耐えられなくなってしまいスピンオフした結果的「ひとり」になってしまった人もいるわけです。特に後者の場合、そういう人は本来とても真面目な人で、必死に世の中の常識と自分のココロのすれ違いと戦っているんじゃないかと思うのです。僕は会社という組織にいて、確かに居心地が悪い時があったり、変わり者扱いされたりもしているんだけれど、無理に協調・迎合はできないし、自分の個性を捻じ曲げてまで仲良しになりたいとも思いません。逆に「自分と違う人間」を尊重できない人とは仲良しにはなれません。なので意志を持って「ひとり」をやっています(笑)。
 
 他人に「協調」を強いる背景にあるものって一体何なんだろう?と考えた時、 そこには、たぶん「孤独」が増え「孤独」が蔓延し「孤独ブラックホール」みたいなのが出現して、そのうちみんなそれに呑み込まれちゃうんじゃないかという妄想があって、その妄想が「おいおい、孤独ってヤツは相当ヤバいぜ!」的な雰囲気を醸し出し、「孤独=悪」的な発言を生んでいるんじゃないかと感じるのです。

「孤独」と「孤立」は根本的に違う。

 話がとても長くなってしまいましたが、自分は「孤独=ひとり」を楽しんでいる。楽しんでいると言ったらちょっと違いますね。う~ん別に楽しんではいないな。正確には「孤独=ひとり」というのは「現実」だから、そう「現実」と向き合っている、というか、そのまま受け入れている感じでしょうか。いいこともあるし悪いこともある。楽しい時もあるし辛い時もある。なので「孤独=ひとり」をあまり特別視しないで欲しいと思ったりする。つまり「孤独」は普通のことで誰のココロにも存在し得るものなのだと思うので。

 ただ「孤独」はいいけれど「孤立」させてはいけないと思います。「孤立」は人との繋がりを断絶してしまった状態なので、やっぱり良くないと思う。もし身近にそういう人がいたら助けてあげたいし、何とかしてあげたい。こういうことを言うと「お前偉そうに言ってるけど、じゃあ一体何ができるんだよ?!」と言う人がいるかもしれませんが、僕に何ができるのかはわからないけれど、助けてあげたいという気持ちとそれに向かって努力する姿勢はいつも持っていたいと思います。
 
 これは僕の勝手な思い込みですが、小説に出てくる主人公の多くはかなり「孤独」で、いつも自分と戦っているように見えます。それがカッコ良かったり惨めだったり、普通のことだったり大変なことだったりして、そんなのが「物語」になっていたりします。そもそも文筆すること自体が「孤独」な作業であって、その「孤独」な作業を通して生み出された「作品」を媒介して作家は読者や社会と繋がっているんじゃないかな。だから「孤独でええじゃないか」と思う。そもそも「孤独」という字、もう見るからに寂しさに満ちていて、どこからかヒューと冷たく乾いた風が吹いて来て凍った湖面を滑って行く、そんな感じしないですか? たぶん多くの日本人がそんな印象を持っていると思う(笑)。だからそのままでいいと思うんですよ。「孤独」ってもともと寂しい状態を表しているんだから。
 
 「孤独」とは「行き場の無いその人そのもの」なんじゃないかと思います。「孤独最高だぜ!」と無責任なことは言えないけれど「孤独」を受け入れて「孤独でええじゃないか!」と普通に、平坦に考えるのは良い気がする。「孤独を知れば己がわかる」「己を知れば孤独は怖くない」。よくわからないけれどそんな風に思います。「孤独」を知らないよりは「孤独」を知っていることが大切なんじゃないかな、と。

「自分はひとりじゃない」。
「孤独」を経験して再認識するもの。

 パチパチと爆ぜる焚き火を見ながら「孤独」について思い巡らせてみたのですが、ざっと見渡したところ、今日、このキャンプ場にテントを張っているキャンパーの約七割はソロキャンパー、つまり「ひとり」です。もしかしたらみんな「孤独」を感じに、或いは満たしに来ているのかもしれません。はたまた、たくさんの「孤独」に紛れて「自分はひとりじゃない」と再認識しているのかもしれません。その辺はひとりひとりに聞いたわけでもなく、統計もないので僕には判りません(笑)。

 で、僕は「ひとり率」高めですが、大勢でワイワイするのも嫌いではありません。いろんな人のいろんな話を聞くのも好きです。なので、僕と知り合いの方、繋がってくれている方には、これからもいっぱい遊んで欲しいと思う。そして、これとても大切なことなんですが「孤立」はしたくないので、何かの折にはぜひ誘ってください。もちろん、こちらからもお誘いします。どうぞよろしく。

8月の信州
天空の絶景キャンプ場にて

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