【学校】成績をつけることが目的に? 失われた教育 【授業の意味】
教育になっていない
教育とは漢字の通りに解釈すると、教えて、育てることだ。しかし、従来の集団での対面授業でも、オンライン授業でも、授業で教えているが、育てるということができていない。なんとなく授業してテストして、品定めしている。
成績をつけることが目的の授業になっている
育てるというフェーズがなく、成績をつけるということが目的になっている。はじめの授業で成績評価から入る教授もいる。「〜な人には単位を与えない」とか高圧的に言うこともある。授業より成績評価が先にあると感じる。
授業をする者の責任
授業は勉強をサポートするもので、勉強ではない。勉強の効率を上げることができなければ意味がない。わかりにくい授業でも、単位が取れなければ卒業できないため出ざるを得ないこともある。教える側は学生の時間を大量に奪うわけだから、なるべくわかりやすくする工夫をして、責任を持って授業をしてほしい。学生側には質の高い答案を求めるのに、教える側の授業の質が低いことはあってはならない。
無理に授業しなくていいのでは?
授業の質が低いのであれば、質の高い資料を用意してもらって、学生はそれを参照するようにしたほうが効率がいい。授業にこだわらなくてもいい。
成績評価は時代遅れ
少ない指標を基準に優劣を決める。狭い世界の特殊なルール中で優劣を決めたところで同じような人間ができあがるだけです。今の時代は同じような人間をたくさん作り上げても意味はありません。言われたことをやっていればいい時代ではないのです。今は標準と違うことをやるべき時代です。ひとりひとりの個性を伸ばしていき、変わり者をたくさん作るべきです。そうしたら変わり者が普通になります。日本に欠けていた多様性ができます。
正直やり方は統一してもらうか、両立できるような仕組みであれば何でもいい
個人的にはオンライン授業を恒久的に行ってほしいが、授業方法は単なるやり方で、成績評価が目的ではなく、本当の意味での教育ができていればどちらでもいいと思う。従来の集団での対面授業で本当にできているのか、文部科学省の方、学校の方は考えてほしい。私はできているとは到底思えません。
従来の教育の問題
・イジメ
強すぎる集団意識、狭すぎる視野、多様性の拒絶、外向型信仰、何でも優劣をつけることが原因
・新しいことができる人が少ない
言われたことをやれという教育だから。理系を増やそうが変わらない。
・自分で考えれない
言われたことをやれという教育だから。自分の頭では考えない教育をしている。
・学生の健康は無視
異様に朝が早い。学生を寝かせたくないのだろうか?
・教える側と学生が主従関係
教える側がどうしても強くなり、教える側の考えが古かったり、歪んでいても従わなければならない。学生は結局、言われたことをやるようになり、自分で考えなくなる。
・長すぎる授業
集中力が50分から90分持つはずがない。時間あたりの質を高める工夫がいる。
最後に
授業というやり方も、成績評価も時代にはあっていない。だが、恐らく変わることはない。この好機に変われなければ無理だろう。