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オリンピックバスケットボールの"あの判定"について思うこと

まず大前提として、これを書いている者はバスケはド素人。
有名なバスケ漫画(想像してもらえれば大体当たる範囲)などを読んで、現実のバスケの大まかなルールと人やゲームの動きを多少知っている程度。
実際の試合を見ていれば熱は入るし、動画サイトなどでのダイジェストのようなものも気が向けばたまに見る。あとは昔学校の授業でちょっとやったな。そんな感じ。

ただ、そういった人間はおそらくそれなりの数いると思われる。
その中の一人がとある記事を読んで思ったことを書いてあります。
そしてバスケに対する思いが強ければ強いほど不快な思いをするかもしれない。


正確に、どの部分の話か

パリオリンピック、男子バスケの日本対フランス、もっと言えば残り10秒で起きたシューティングファウルが誤審であるという部分がメイン。
わかりやすく各所で議論が巻き起こってるやつ。

1つ、この記事の重要な話

今回書いているこの記事では、贔屓や差別、審判の質等による影響は考慮していません。そういったものがあるかどうかという判断は自分にはし難く、決めつけたくも無いし、バスケのこの試合ただ一点についての感じ方だからです。

興味深い記事があった

「私が審判なら笛は吹かない。ただし…」パリ五輪男子バスケで大金星を逃した河村勇輝への“疑惑のファウル判定”は本当に“誤審”だったのか? https://www.ronspo.com/articles/2024/2024080101/ (RONSPO)
この記事。
「元bjリーグ審判、現実業団リーグ審判」という方が回答してくれている。
自分なりに要約すれば

  • 近年シューティングファウルは厳しく取られる傾向にある。

  • シューティングファウルにはチャレンジ(映像検証の要求)を要求できない。

  • あの判定は間違いである。

  • ただし、レフェリーの視点からは理解できる流れがあった。

  • 人が判断するものなので線引きに揺れがあり、この試合ではこういったプレイはファウルとして見るという基準を初めから示していた

  • 実際この試合ではシュートに対して手を出す行為を始終厳しく見ており、河村選手はマーク後ずっと手を出していた。

  • アナリストがそういった傾向も分析しており、試合中に指示を出すものである。

といったもの。

この記事についてどう思っているか

なるほどな、と思う。この審判の方の言っていることは基本的に理解できる。
実際、審判も機械的に全てを見て判断できるわけではない。それはいろんなフィジカルスポーツにおいてそうだろうと思う。
そしてそんな人間の限界を越えた部分を補うために、今では映像を使った判定が導入されている。バスケでもそういったチャレンジというシステムが存在している。

そのチャレンジがシューティングファウルでは要求できない理由については自分にはわからないが、この件について「バスケのようなスピーディな競技でことあるごとに止めてしまうのはゲームの流れも止めてしまうし、きりがなくなってしまう」という意見があった。
これもわかる。
実際のバスケの試合を見ていると点の入り方から攻守のスピード、その入れ替わりなどなど非常に展開が早く、1秒以下でどんどん動いていく世界だとわかる。それを1つ1つ審判の判断のたびに長時間止めて映像確認などしていたらゲームが成り立たないと思う。

つまり、どうしたって審判において人間の限界、機械の限界の両方がぶつかってしまう。
結果的にある程度の基準は審判に委ねられ、審判がその基準を示し、その試合の中でチームが対応していくという流れができるというわけだよね。
これはやはりバスケに限らず多かれ少なかれ他のスポーツでもあることだと思う。
そりゃまあSFみたいなレベルでコートすべてをスキャンできて機械が判断とかできなきゃ無理だよなって思う。AIの発達でいつかそれに近づくことはできるのかもしれないけど。

……という理解をした上で

この記事の中で回答をしてくれている方は、あの判定単体は間違いだったとしている。
この試合の直後、日本以外の複数のプロプレイヤーも間違いだというコメントをSNSに出していたようだった。
各国のメディアも間違いだったとしているところが複数ある。これだけの範囲で「触れていなかった」「間違いだった」と見る声がある。

しかし今回の判定は審判の基準の範囲であり、「こういうものだ」ということだ。
そういうことであるならば、ド素人の中の一人である自分からすれば、バスケそのものが楽しめないなと感じる。

競技であれ、遊びであれ、ルールという枠組みがあるからこそで、
これだけ広い範囲で間違いだったとされる程度にルールを逸脱したファウルを審判の揺れの範疇として許容し、
この試合はそういう線引きをすると審判が定められるのであれば。
今後も明確なジャッジミスでも検証の意味は薄れるし、ルールではこうだが審判が言ったからそれが全てになるんだろうなという意識ができてしまったのが正直なところ。
そしてそれは試合の結果に直結しているということ。
ではどこまでなら審判の判断が優先されるんだろうという気持ちもある。

それは他のスポーツでもそうかもしれないが、上述のように展開がスピーディで審判の正確性が下がる種目であるほどこの意識が非常に強くなってしまうなと。

ド素人の感覚・視点・意見なのは間違いない

初めに予防線を張った通り、自分はバスケに関して本当にド素人だ。
そんなやつがいろいろ言ってんなよ、じゃあ観るなよと言われたら、まあそれは仕方がない。
事実、書いた以上の視点や判断などは持ち合わせてない。
今後この件や、そうでなくても似たような話が議論されていく中で、自分自身の考えが変わることもあるかもしれない。

ただ、そういった素人の中の一人の意見として、少なくともなんらかの方法で審判の精度が上がらない限りはこのスポーツを楽しめそうにないな、ということです。

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