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母に首を締められるということ


私が中学生のときのこと。
家に私自身の居場所がなく、
(↓たぶん居場所がない説明に
この記事が当てはまると思う)

学校でも若干いじめられていて、
学校にも居場所がなかった。

家では、家族に都合のいいうさぎは
必要とされていたが、
意見や疑問を言う私は嫌な顔をされた。
母に同調同意するうさぎが
必要とされていた。
母を慰めるうさぎが、
母の母となるうさぎが、
母の良き友人となるうさぎが
必要とされていた。

私は、それが苦しくなって、
自殺願望を持つようになった。
毎日死にたいと言う母の自傷行為を見ていたことも重なって、
その想いは強まっていくばかりだった。

信用できるのは家族だけということを学んだ(スクールカウンセラーの件)私は、
タイミングを見計らって、母だけに打ち明けることにした。

母が割と落ち着いている昼間、
ほかの家族は誰もいない。
私は言った。
「お母さん、私、死にたい」

母は無言でどこかへ行き、再び戻ってきた。
手には紐が握りしめられていた。
紐の片方を私に握らせ、
座っている私の首に巻き付けた。
もう片方は立っている母が両手で握った。
母は、全体重をかけて、私の首を締めた。

「いたい!くるしい!」
『死ぬんだから、痛いし、苦しいよ!
当たり前でしょ!
死にたいなんて言うのは、その覚悟があるってことでしょ?!』

私は、これを優しさと受け取った。

死ぬと言わせない、思わせないための、
母の優しさ。
お母さんの死にたいと、
あなたの死にたいを
同じ痛みだと思わないでという、
本気度の違いを教える優しさ。
実際、死ぬのが怖くなった。
死にたいと思っても、言い出さなくなった。
実行する勇気がないことに気づいた。

一人暮らしをしてから、
この記憶が蘇ってきて、のたうち回った。
優しさなら、抱き締めてほしかった。

この中学生のときの経験から、
私の心の奥底では、
『都合の悪い私は必要とされない。
もし本音を言って、
相手に都合の悪い私だった場合、殺される。
だから、本音を言わないし、
助けも求めてはいけない。
同調同意が安全だ。』
ということを思ってきたらしい。
一人暮らし前の私は、なんの意見もない、
ただの相手に合わせる鏡のような存在になっていた。

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