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お父さんについて

父は、怖い存在。
話し合いができない。
一方的に言い、
思い通りにならないと怒鳴る。
ゔぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙とか奇声をあげる。
態度で示す。
足音がドタバタするとか、
ドアを強く締めるとか。
自分の机の上をグチャグチャにする音を響かせるとか。
床を殴るとか。
物を投げつけるとか。
私はこれらの音が怖くて、
音に敏感に反応する癖がある。
残っている。

借金をしてくる。
自分で返済できると思っているが、
実際には督促状を母に投げつける。
母が姉からお金をもらう。
働き始めれば、姉も私の収入も
父の頭数?に入れられた。
母のバイト先はどこからか
父が持ってきていた。
母には、働くのが当たり前と押し付け、
でも、家事も女がやるべき、と
自分は一切やらなかった。

昭和の親父といえば、
そうなんだろう。

でも、思いやりはない。
愛情はない。
優しさはない。
自己都合で、
自己中心的で、
家族は自分の所有物だと認識している。

外面は良くて、
外の人とよくおしゃべりし、よく笑い、
気弱で温厚そうな人だと思われていた。
でも友だちはいなかった。
付き合うには、
中身が薄っぺらいのがバレて、
愛情もないし、他人を利用するし、
仲良くできないのだろうな、
と今は思う。

家庭内では、
緊張感しかうまない。

父は、家族内で唯一私には甘い。
25才のときに母から明かされたが、
私だけが父の実子だった。
母は再婚で、
姉兄は母の連れ子だった。

甘いということは、
父のご機嫌取りの相手役として任命され、
期待されるということ。
家庭内の環境を良くするのも、
悪くするのも私なんだという、
重さに潰されそうだった。
バランサーなんだと言い聞かせた。
全能感と敗北感を常に味わっていた。

私がいれば、父は強く言えない。
私が言い返したり、
モノを(当たらないように威嚇として)
投げるから。
母と姉は、私が部屋にいないことを酷く恐れるようになった。
私は、お風呂の時間も、
トイレの時間もゆっくりできなかった。

母の愚痴は、父が震源地だった。
父さえいなければ、
母と姉と私で幸せに暮らせるのにと思っていた。
(大きな誤解だったと
一人暮らししてから気づく)
父が消えればいいのにと願っていた。
父を殺してしまおうかと考えたこともある。
考えただけで、とてもそんなこと出来そうになかった。
母と姉のためになら、私はなんでもやりかねない精神状態だった。

母は離婚届を渡していた。
父は常に破いていた。
理由は、
『俺がいなければ、
お前たちは生活できないだろ!!!』
だった。
『育ててやった分、
恩返ししろ!!!』だった。
生活のことはわからない。
でも、育ててもらったのか?となる。
たしかに、生活費は払ってくれた。
衣食住を与えてもらった。
医療も受けさせてもらった。
命の危険はなかった。
憲法で保証されている、
最低限度の生活はさせてもらった。
させてもらった?
最低限度の生活しかさせてもらえなかった。
(今考えれば、
母も本気で離婚したいなら、
他にも方法あったのになぁ。
離婚したくなかったんだろうなぁ。)

父親がいなければ、
それはそれで辛いのだろう。
いない分、もしいたなら、と想像できてしまうから、いるよりも辛いのかなと思う。

比較して、私は辛くないと言い聞かせたかった。
でも、ごめんなさい。
比較じゃない。
私は辛かった。


私が初めて出会ったひとりの人間が、
家族が、男が、
こんな感じの人だった。
人間が怖い。
家族が怖い。
男が怖い。

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