Jean Paul GAULTIERはゴシックの夢を見る?
今でも欲しいなーと思うメゾンに、僕はNUMBER(N)INEと共に、
Jean Paul GAULTIER
があります。
ゴルチェと言うと、海外のデザイナーというイメージを持ちがちですが、実はその基盤は日本で作られたと言っても過言ではない。
PIERRE CARDINでアシスタントを勤めたのち、パリのオンワード樫山の経営する『BUS STOP(現在のVIA BUS STOP)』のデザイナーとして応募、採用されます。
そして1981年のライセンス契約から、ゴルチェは大躍進を果たします。
当時、その名を最も知らしめたのが当時大人気だったBOØWYへの衣装提供でした。
解散ギグでもメンバー全員がGAULTIERの衣装で演奏しています。
恐らくBOØWYと言えばこの衣装を思い浮かべられる方が多いのではないでしょうか?
ちなみに、寫眞のジャケットは当時布袋さんが着用されたものと同じモデルのもので、現在では物凄いプレミアが付いていたりします。
あと、THE ALFEEとはガッツリと組んでツアーをやったりしています。
なんと映像作品として残っていたりもするようです。
ここからも分かる様にゴルチェの基盤は実は日本に非常に所縁の深いものでした。
このような影響が非常に大きく、その後のアーティスト、特にV系の方々には非常に重宝されるメゾンになって行きます。
黒服のバンドは当時漏れなくGAULTIERを纏っていましたし、コレクションを見て頂いてもその片鱗が分かると思います。
過去のコレクションからもその独特のクリエイションが分かるでしょう。
当時、Vivienne Westwoodも彼を息子と呼ぶくらいにそのクリエイションには共鳴していたと言われています。
まさにCOMME des GARÇONSとYohji Yamamotoのような位置付けだったのではないでしょうか?
そして、日本のV系においてGAULTIERが決して無視できない一大事件が起きます。
それは…
Marilyn Mansonがモデルとして起用されたんです。
この事によって、当時のゴシックの衣装=GAULTIERという方式が明確になりました。
ちなみに、こんなアイテムも出てます。
男性でゴシックを纏う人になくてはならない存在になっちゃった訳です。
服のクリエイションは間違いなく素晴らしかったのですが、実は日本で彼の名前を決定的に印象付けたのは洋服ではありませんでした。
それは…
バッグです!!!!!!
世界を見ても日本人はバッグに拘る人種だと思います。
有名なメゾンのものが欲しい!となった時に特に女性はバッグを求める傾向は今日でも非常に多い。
これは60年代後半に提唱された『一点豪華主義』なるものの影響が非常に色濃く現在にまで残っている影響だと思います。
因みにこの『一点豪華主義』という言葉を生み出したのはかの寺山修司大先生なのですよ。(コッソリ
彼のバッグのデザインは非常に素晴らしいものでありました。
伝統的な形を踏襲しつつも、素材も安価ではあるもののそれなりに丈夫なものを使用し、使い勝手も良く、それでいて存在感のあるバッグを次々に発表しました。
バッグは非常に多くの人に受け入れられ、GAULTIERの洋服をよく知らない人でもバッグだけは持っているという方を次々と生み出して行きました。
そして、その最高傑作と思われるのが…
トランクです!!!!!
90年代にV系ファンをやっていて、トランクを持たなかった人間は居ないのではないでしょうか?
この玉虫色のトランクに憧れを抱いた人は数知れず!
既存のトランクとは違い、きちんと使い勝手良く作られてもいた事から、
このトランクは一つの文化としてV系では受け入れられて行きました。
どうして受け入れられたかはまた別の話(ナガクナッチャウ
僕の中でJean Paul GAULTIERはゴシックの最高峰でした。
それは今でも変わっていません。
彼の影響を受けたであろうデザイナーは、非常に多いと思われます。
Alexander McQueenなどは非常に色濃いと思いますし、日本ではalice auaaなどゴシックに根本的な世界観を持つメゾンは漏れなくその影響を受けているでしょう。
黒のストライプのジャケットに赤いブラウス、黒のネクタイという揃え方は間違いなくGAULTIERが作り出したゴシックスタイルだと思いますし、玉虫色をゴシックスタイルに落とし込んだのも彼だと思います。
この辺りは本当に思い込みでしかないのだけど……
しかし、映像の世界で作られていたような世界を現実に持ってきたそのクリエイションは、本当に魔法の様だと思います。
僕もまだ高校生位の頃、GAULTIERのものを買っていたりしましたが、今考えるとまぁ似合ってないんですよね…
それは体型云々ではなく、その独特の世界を全く理解できてなかった。
憧れたヒーローの格好をするだけの子供の様なものです。
今だったらそれなりに格好良く面白く着用できそうなので見つけると一度は購入を試みようとしてしまい
それからもっと似合う様になったら着るようにしようと思いながら日々を過ごしていたら、ゴルチェはオンワード樫山の契約を解除され、クチュールの世界へ。
そして去年の年始を最後にデザイナーを引退してしまいました。
彼が提唱し続けたのは、既存のものの再構築でした。
それは伝統を重んじながらも、その時代に適合することによってその生きる道を模索する日本の伝統そのものでした。
そこに懐かしさと同時に新しさを感じたのだと思います。
ゴシックという世界観も海外にインスピレーションを受けつつも、その根幹は日本で形成された世界観でもある。
日本のお家芸である、「きっかけは他から取ってきて馴染みよくする」というクリエイションによって生まれた世界観。
その中でGAULTIERという存在は、その世界観を形成するのに大きく寄与した。
そして、ゴシックという世界観を完成に導いたというのは、最大の功績である。
ちなみにゴルチェが日本のプレタを撤退後、バッグ部門のスタッフが再結集し、現在はaltherapieというメゾンを立ち上げられています。
古き良きGAULTIERのバッグのテイストを残したバッグが多数です。