マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”
『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”を観てきました。
1988年に『Maison Martin Margiela』を設立後、2008年の自身のキャリア20周年のコレクションを最後に引退。
その間、ファッション業界のセオリーを次々と覆す刺激的なアプローチを成功させていく。
活動期間中はメディアからの取材には一切答えず、ショーでも一切姿を見せる事もないミステリアスなデザイナーとして知られていました。
その事によって当時マルジェラは非常に高飛車な存在と取られることも少なくなかったそうです。
しかし、実際は自分自身が華やかな存在になる事を嫌った事が一番の原因だと告白。
この映画は、マルジェラが引退10年と言う節目に、自らの姿を映さないという形ではあるものの、その肉声を公開すると言う事は一つの驚きとして捉えられました。
淡々と語るその様は非常にリラックスしながらも、時折自分の活動を噛み締めるように語る様は非常に印象。
そして、彼の言葉を補足するかのように彼に関わった人達のインタビューを交えて映画は展開していきます。
印象的だったのはマルジェラが師事したゴルチェのインタビュー。
マルジェラは学生当時からゴルチェの作品に感動し、80年台初頭のコレクションのインビテーションとして用いられたバッジのレプリカを製作する程の影響を受けたそうです。
ゴルチエはマルジェラの事を
「取り柄がある真面目な人間」
と評し、同時にそれを失ってはいけないと彼に語ったという。
80年代のJean Paul GAULTIERは非常にフェティッシュな作品を多く残しており、そのショーのステージングも非常に派手なものであった。
そんなショーを作ったゴルチェとマルジェラの生み出す物は正反対のようで、性格は非常に似通っていたのかもしれない。
同時にCOMME des GARÇONSの川久保玲の影響も大きく、彼女の作品を見て、自分が持っていたものが全て過去になったとも語っている。
マルジェラは、仕立て屋だった祖母の影響で洋服を作り始め、最初はバービー人形に着せる為の洋服を作っていた。
また祖母の使っていた布の余りで自らのイラストの上にデザインに切り抜いた布を洋服として貼り付けたノートなども残っていた。
マルジェラの作品は、自分の考えるファッション業界の現状の打破から始まっている。
多くのファッションデザイナーが生まれ、世間にはブランドの洋服を着ることのステイタスのようなものが生まれ始める。
「洋服のタグを見て、“誰々の作った洋服だ”と判断される事が購買の条件になる事が嫌だった」
その作品の良し悪しを考える訳でもなく、単にその名前で売れていくという現状をあまり歓迎していなかったマルジェラは、自分の洋服のタグを真っ白で四隅を糸で留めたものにしてしまう。
結果的にそれがマルジェラのタグとして結果的に認知されてしまうのだけれど、そんな意味があったというのは知りませんでした。
彼の作品は日本的な温故知新の精神がありました。
この辺りも日本でデザイナーとして花開いたゴルチェの影響があるのかもしれません。
今でもメゾンの代表作の一つとして知られる『足袋ブーツ』がその代表でしょう。
彼は自分の作品を作る際に靴を非常に重視する故に、常に新しい靴を追い求める最中で日本の足袋とブーツを組み合わせる事を思い付いたそうです
作品に関しても従来のものを重視する視点は変わらず、時に無数の手袋や軍隊用のソックスを洋服へと昇華したり、洋服の保護の為に包まれていたビニールを使ってドレスを作るなど、まるでデュシャンのレディメイドのような作品作りをします。
この辺りのことを考えても全く大量生産を考えていないような作り方ですよね。
全く商業的ではないその作品は、しかしながら多くの人の賞賛を勝ち取っていく事になり、ファッション業界では非常に尖った事をしているメゾンだと受け取られます。
そんなマルジェラは1997年にHERMESのクリエイティヴディレクターに就任します。
伝統的なHERMESと、アヴァンギャルドなMargiela。
両者のコラボレートは当初、ファッション業界を中心に大きな話題となりました。
デザイナーとしてマルジェラはHERMESの伝統と普遍性に敬意を表する意味で、Margielaのようなアヴァンギャルドなクリエイションではなく、
高級な素材で非常にシンプルなコレクションを発表します。
時計の革ベルトを二重にするデザインなど、現在ではHERMESの定番となっているスタイルとして定着していますが、伝統の革新を求めていたファッション業界から当時は非常に酷評されました。
今ではHERMESのアパレルの基礎を作ったという事で、非常に貴重なものとされています。
この頃から更にマルジェラの作品は先鋭的になっていき、非常に刺激的なものになっていきます。
それに比例するようにメゾンが大きくなるに連れて、問題になるのが資金力でした。
そこで、dieselに資金提供を願い出た所了承され、dieselが筆頭株主となる事で傘下に入り、
結果資金調達を出来たものの、徐々にdieselの提示する商業的なプランが肌に合わなくなっていく。
その結果、オーバーサイズのシルエットの提唱などの新しいスタイルを示す事はできたが、仕事内容の変化によりマルジェラはデザイナーではなくディレクター的な位置になってしまう。
その事に違和感を覚えたマルジェラは自らのキャリア20周年の節目のコレクションを最後にデザイナー業を引退。
その報は、コレクションの最中に伝えられる事はなく一般に知られたのは少し後になってのことだったそうだ。
歴史に名を残すデザイナーは大衆姓を排除する事から資金面に非常に苦労する傾向がある。
自分自身のスタイルを理解してくれるであろうと考え、同じ道を歩んでいた人間にさえ理解されない。
それは極めて皮肉であり、同時に残念な事でさえある。
彼の功績の大きさは、引退から10年を経た2018年の回顧展を見てもよく分かる。
この世間の注目度の高さが彼のメゾンを始めた当初の目的である
「作品を通じて自分の事を知ってもらえれば良い」
という目標を叶えていたという何よりの証明になったのではないかと思う。まるじぇ
そんな望みを叶えていても、デザイナーとしてはまだやり切っていないようだった。
引退したデザイナーがカムバックする事は決して珍しくない。
マルジェラがカムバックしないなんて事は誰にも言えないけれど、やるとしたら本当にひっそりとやるんだろうな。
知ってる人だけが集う場所で、自分自身が満足するものだけを作っ誰かが気に入ったらそれを売り渡すみたいな。
そうやって誰もそれがマルジェラが作った物だとは知らずに手にするっていうのも面白いんじゃないでしょうか?
これ見て一気に好きになってしまったんだけれど、現行のものはもうマルジェラが作ってないっていうのは残念だ。
ガリアーノもいいんだけどね。
ミステリアを人々が美しく、それを守ろうとしていた時代のお話。