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そこにある家が怖い 裏世界ピクニック9巻感想


 たいへん遅くなりましたが裏世界ピクニック9巻の感想です。今回のテーマはズバリ、「家」。家としての建前を失ってしまったマヨイガ、新しく家としての意味を持った小桜屋敷、実は住める牧場改めキメラハウス。形としての家だけでなく概念としての家を通して、個人が社会に根を張る場について描いています。

ファイル27


 ファイル27で出てくる家はマヨイガ。8巻で空魚が偶然訪問したときに、もぬけの殻だったマヨイガ。そのあるじである外館とハナの行方について、読者からも心配する声が上がっていました。自分も前の感想noteで心配するような文章を書いたのですが、ぶっちゃけ、なるようになるんじゃないかと感じている部分もありました。そして実際、なるようになった。

 今回の怪異はシシノケ。「シシ」が獣全般を表す言葉であることが空魚によって指摘されています。さらにシシノケは牛鬼、バロンと空魚たちがかつて遭遇した「獣」の姿をとってみせます。この怪異が象徴しているのが「獣」であるということをダメ押ししているようにも感じられます。
 家を失い、人間のルールから逸脱したものは獣となる。そういうことでしょうか。

ファイル28


 ファイル28で出てくる家は小桜屋敷。新登場でもないし怪異とも関係ありませんが、霞が正式に家族になり「家」として新たに意味付けされます。
 「家」を作った小桜に対して疎外感を持つ空魚と、それを嫉妬として解釈する鳥子。ともかく、「家」に疑問を持つ空魚のスタンスは次の章でのるなとの問答にもつながっていくわけです。

 そして、驚きつつも納得だった霞の養子縁組。物語だとお役所とか当局は例外に冷たい役にされがちですが、実際にはそれなりに例外に対処しようとしてくれているし味方にしたほうが頼もしいこともある。こういう描写があるのはいいですね。

 タイトルになっているカイダンクラフトは怪談を自動生成して、言語空間の中で怪談になりうる領域を調べるプログラム。裏世界のコンタクトと近いアプローチをすることで共通言語を作ろうとするアプローチ。SF×ホラーの本作らしいガジェットですが、「怪を語れば怪至る」にならんだろうな。
 9巻発売記念のトークショーでは宮澤先生が「今巻には次への仕込みもある」と言っていましたが、このカイダンクラフトがそうでしょうか。

 ラストで登場するのは、廃墟ビルを徘徊する菌糸男たち。「見えない階段」は「見えない怪談」のダブルミーニングでしょうか。(ないない)
 ちなみに階段は怪談でよく出てくるロケーションではあります。先の見通しが悪い中間の場所というのが使い勝手いいんでしょうね。今巻でもマヨイガ、廃墟ビル、牧場のそれぞれで地味に使われています。

ファイル29


 ファイル29で出てくるのはキメラハウス。住めることも強調され、「牧場」から「ハウス」になりました。

 意外に謎が多く残っていたカルト時代のるなの所業ですが、本人もよく覚えてないという情報が明らかに。
 味方になるとチート感が薄れる現象だ(ボソッ)。

 この章では空魚とるなにとっての「家」について掘り下げられます。空魚が実家を失い、家に象徴される、安心できる場所を失っているということはこれまでにも形を変えて何度も出てきていますが、るなと家族の過去については今回一気に新情報が出てきました。
 彼女もまた、カルトによって「家」を喪失していたわけです。空魚とは鏡写しというか、そういう関係。

 終盤、裏世界の干渉を受けたるなはガラクタで作った空魚の実家の見取り図を作ります。その家からは仏壇がなくなっていて、そこにるなは冴月を表す黒い石を置こうとする。これは信仰を失った心を冴月への崇拝で満たすことを表現しています。
 信仰というのが浮いて聞こえるなら、社会と約束している感覚と言ってもいいでしょうか。

獣と約束


 シシノケが「獣」を象徴している可能性はすでに指摘しました。このシシノケは、クライマックスでるなを誘惑した怪異の姿としても登場します。
 家を失い、社会との約束を失ったるなもまた「獣」になるかも知れなかった、そういう意味で受け取ってもいいでしょう。

 子供と接するとき、本心では子供好きではないのに、表面では適切な態度を取ろうとすることに違和感のある空魚。恋愛への違和感や「家庭」への拒否感も同根で、空魚も結局社会的な約束を信用しきれていないんですね。

 それでも、その気になれば壊せるものを壊さず、約束を守って生きることを選択した空魚とるな。それは後付けの振る舞いであっても、ちゃんと社会の中で生きることを選んだ人間の選択と言えるでしょう。
 というか、前にも小桜さんが言ってたけど、多かれ少なかれそんなもんなんじゃないの?という気もする。

 あっでも自分の低音ボイスを「これ使えるな。なんか困ったらやろ」とか言って人間をハックするものとして処理しようとするとこは直したほうがいいと思うよ。実際ハックできてもそういうやつだと認識はされるから。

 まあそれで、「声」を使って鳥子をハックしようと企む空魚の姿はやはりるなを連想させるための描写でしょう。声の力で全てをハックできると考えてしまい罪を重ねたるなですが、それを続けていれば多くのものを取りこぼしてしまったと空魚に気付かされます。ゲートの存在も知らなかったしね。

 獣が社会と約束する行為を繰り返して社会の一員になっていくというのは霞の件でも間接的に描かれています。「言語の習得が進むにつれて、どんどん平凡になっていくと思うよ」by小桜
 空魚と鳥子とかいうあぶない獣を育てた人の言うことは重みが違う。

 挨拶ができるようになった霞と、手話で看護師に話しかける社会性を身につけていたるな。

魔術


 8巻から登場した辻、魔術に関する説明が「部分的にこうではある」「こうではない」を繰り返して少しずつ輪郭を感じるもので興味深いです。オカルトチックでもあり、SFチックでもあり。

・るなのリノベ術も魔術。無意識に作用するものとか、そういう感じだろうか。掃除しちゃうとストーリーが取り払われてしまうんですかね。
・笑いで意味を破壊する。悪用するといけないやつだ。
・無理やり文脈に乗せられるとき、それを意識できることが魔術師には必要、と。なるほど。

 強引に解釈すると、「約束」もまた魔術としての側面もあるのかなと。今巻で「卒業試験」という概念でるなの意識にブレーキを設定した大人たち、以前の巻で牧場についてルールを設定することで空魚の暴走をコントロールした汀。

 終盤、「厭わしい」と「愛しい」の例を出してるなを説得しようとするのは、ちょっとこじつけくさいと思ってたのですが、何度か読むうちに、これはこじつけてる主体は作者ではなく辻さんなのではないかと思った。
 辻の言う「愛しいってそんな簡単じゃない」、これはおそらく世界に対する保証ではなく、そう信じることでこの世の中を生きていけるということ、宗教、広義の保護者が被保護者に与える傘なのでしょう。
 そうそう、保護者と被保護者のそれぞれの立場からの意見が繰り返し出てくるのも、「家」をテーマにした今巻らしいですね。

 「厭わしい」と「愛しい」どちらの意味を採用するのか決めるのはその人の認識次第。借り物の優しさでも、そう振る舞うかどうかを決めたのは自分。そうであるに違いないと信じているのではなく、そうであることにしようと信じている。

 京極堂シリーズの「姑獲鳥の夏」のラストで京極堂は優しい嘘をつく。いや、嘘というよりは誰にも断言できないことをわざと断言して、友人である関口の心を守る。あれも自分の言葉に人の心を操る力があるとわかってやっているわけですが、それと近いものを感じました。

終わりの先


 マヨイガで空魚は「遭ったら終わり」の怪談について思いを巡らせます。怪談における「終わり」とはズバリ死か、または精神に深いダメージを負うというものが定番ですが、空魚はさらに踏み込んで「向こう側に行く」という表現を使いました。

 さらにこのタイミングで、第五種接近遭遇というワードが出てきます。
 小桜が例に挙げたところでは、第五種は直接対話。第六種は死傷者の発生。第七種は子供の誕生。第八種は侵略……云々……。

 「終わり」は終わりとは限らない。トークショーでは「8巻が終わりだと思っていた人が多くいた」という話題に触れられていましたが、それを思い出したり。一度区切りのついた怪談に要素を付け足し新しい視点を与えるモチーフはカイダンクラフトでも出てきます。

 8巻で鵺という関係を結び、ある種「いくところまでいった」空魚と鳥子。ではその次は?前回やっとファーストコンタクトを果たした空魚と鳥子だけど、これを第五種接近遭遇に当てはめれば、その先は第七種接近遭遇なのか?それが「高度」なのか?という連想があるということ。
 
 第七種接近遭遇では人類と宇宙人の子供が生まれる。なんとも意味深な伏線というか。霞の話……と見せかけて、空魚か鳥子あたりが裏世界生まれだったりしません?
 その前後に第六種、第八種があるけれど。伏線なら不穏すぎる。

怪談談義


・空魚は幽霊否定派と。ハードコアだねえ。
・小桜の推測では、裏世界の異言はそもそも言語ではないだろうとのこと。雰囲気のモノマネにすぎないと。この辺近年のAI生成物の話を連想する話ではある。
・カイダンクラフトは要素に分解した怪談を再構成して怪談を作っていたけど、るなは同じ要素をほんの少し動かすだけで恐怖を生んでいた。どちらの立場もわかる気もするし、どっちかだけではない気もするし。このへん、「閾値の外の知覚」の話と繋がってくるのかねえ。
・「サマー・タイム・トラベラー」というSF小説で「可能性の浸透圧」という概念(可能の領域から不可能の領域に侵入することはできないけど、不可能の領域から可能の領域に侵入することはできる)があるんだけど、カイダンクラフトの話ではそれを思い出したり。

その他小ネタ


・「髪食べ始めてない?」←生きてる人間が一番怖いってことですかね。うん。
・紅森さんの話題で「圧」モードになる鳥子。←生きてる人間が一番怖いってことですかね。うん。
・異世界エレベーターの手順を手で覚えてる大学生、嫌。
・夏休みが二週間ない大学、おそろしすぎて慰めの言葉も出ねえ。
・「隠語」ネタ引っ張るの笑う。
・「戦国武将」ネタ引っ張るの笑う。
・言語によって人の振る舞いが変わるってのも面白い。このへんも認知の話や外付けの振る舞いの話に絡んできそうだけど、まあそこまでこじつけなくてもいいや。
・鳥子のフランス語はTwitter(自称X)で見かけた考察によると、「愛とは互いに見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見ることだ」という言葉らしい。裏世界と小桜さん(カイダンクラフト)の関係に似てるね、ふふっ。
・膝枕のオチは綺麗に決まってましたね。ちゃんちゃん。

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