考察などしなくても「かわいそ笑」が百合小説であることは明白【前編】
まえがき
本文は、ホラー小説「かわいそ笑」に対して、そのミステリ的な側面にスポットを当てて、構造の分解・整理を試みるものです。全体のネタバレを含むため、未読者の閲覧は非推奨です。
断片のつながりについて
さて、話題のモキュメンタリーホラー「かわいそ笑」の分析です。この小説は、この手の作品のいくつかがそうであるように、収集された断片が互いに少しずつ繋がるように構成されています。
特に注意を引くのは、「横次鈴、あるいはその変名を疑わせる名前」「セーラー服を着た女性の、首から上がトリミングされた写真」です。この二つを念頭に置きながら小説を読み進めると、自然と読者の想像はある一つの形に誘導されます。すなわち、
「呪いによって発生した一つの凄惨な事件と、その迷惑な余波」
というストーリーです。しかし、本当にこれは一つの事件に収まるものなのでしょうか?注意深く読むと、読者をリードしたはずの読み筋は途中でハシゴを外されていることに気づきます。
・作中には「怪談の関係者の名前をわざと書き換える」という呪いが登場し、終盤に登場する四十代の女性は、同様の改ざんをこの本自体でも行なっていることを示唆する発言をしている。
・首の上がトリミングされたセーラー服の写真については、「一見して異常がない」「一目見ただけで生きている人間ではないとわかる」など、断片によって矛盾する記述があり、複数存在する可能性がある。
仮にそういう示唆がなかったとしても、伝聞の伝聞が入り組んだ構造になっている本です。ミステリ的視点から言えば、疑うとキリがありません。(もっとも、ミステリであればどこに嘘があるのか、なぜ嘘をついたのかのヒントは基本的に作中にあるわけですが)
ではどうするのか
前置きはほどほどにしましょう。「かわいそ笑」の構造を分析するにあたって何をおいても整理しなければならないのは、
①「筆者」が直接収集することのできた情報
②作中に複数登場する呪いの発案者、使用者、順序
の整理です。
思い出していただきたい。作中登場した呪いは全てがタルパに関係するものでしょうか?これについては「呪い」と「呪詛返し対策」の二項で分析している考察も多いけれど、実際はより複雑なものなのではないでしょうか?
サクサク行きましょう。
「筆者」の足跡
この本の終盤では正式な著者である「梨」氏と文章をまとめた人物である「筆者」を同一人物と捉えてよいと語られていますが、一方で「梨」氏を含む集団に対して「恨むならそいつらを恨んでください」とコメントするなど、結構投げやりな距離感です。
まあ、そこに関しては深く考えないことにします。ここでは
「現実世界での『梨』氏の活動は本作の解釈にほとんど影響しないものとする」
程度のスタンスを取ることにします。
「筆者」が直接採集したと考えられる物語は以下の通り。
・四十代女性と接触し、鬼門のおふだに関連する体験を聞く
・Mixiから怪しいアンソロ投稿の話を採集
・Amebaブログからトリミング写真の話を採集
・怪奇本から洋子の体験談を採集(二回)
・アングラ掲示板ロム専の男性に接触し、トリミング写真の体験を聞く
・「あらいさらし」メールを受信者から採集
・「長編小説」(とその中に含まれる引用)を復旧データから採集
・四十代女性と接触し、「幽霊に合う方法」サイトの体験談を聞く
第四話に登場する断片のいくつかはよく読むと「長編小説」の一部であり、「著者」が直接採集したものではないとわかるのでここには細かく書いていません。
でもこのリスト、本当でしょうか?
例えば最初の鬼門のおふだについての体験談。これはMixi記事で触れられている、アンソロ寄稿小説の元データと考えた方が自然です。ロム専くんの体験談は文字起こしとしているのだから、こちらだけ小説風の文章(まえがきで言うところの「とある怪談のdocxファイル」)になっているのはおかしいです。
そもそもまえがきの時点で「docxファイル」と「後日談」は別の断片として紹介されているのですから、縦線の前後で切り替えがあると考えるべきでしょう。
逆に、縦線のない第五話が「四十代女性」の体験談だとするのも疑わしい。第五話の中では引用元を示す説明がない以上、「著者」という単語の指す人物は一貫していると考えるべきです。
引用元の説明のない文章に登場する「筆者」、断りのない文章で地の文のような表記法をしている人物は全て本書の「筆者」と同一人物であるという記述をまるっと信じるとしたらどうなるでしょう?
☆四十代女性と接触し、鬼門のおふだに関連する体験を聞く
(但し、docx文書の内容とは違っている可能性がある)
・Mixiから怪しいアンソロ投稿の話を採集
・Amebaブログからトリミング写真の話を採集
・怪奇本から洋子の体験談を採集(二回)
・アングラ掲示板ロム専の男性に接触し、トリミング写真の体験を聞く
・「あらいさらし」メールを受信者から採集
・「長編小説」(とその中に含まれる引用)を復旧データから採集
☆「幽霊に合う方法」サイトにまつわる異常を直接体験する(一部は伝聞?)
☆四十代女性と接触し、彼女が行なった改竄について情報を得る。
洋子の体験談については少し迷いましたが、引用先が明記されているため、「筆者」の直接の採集とは別扱いにしました。
特に注目すべきは、「幽霊に合う方法」サイトの件で「著者」自身が当事者となっている点です。本人が言っているように、これが起点となってこの件にまつわる断片の最終を開始したと考えるのが自然でしょう。
タルパに関連しそうな体験談を採集する→「長編小説」を発見する→「トリミング写真」「名前の書き換え」に関連しそうな断片を採集する→その他、付随する断片を採集する→四十代女性にたどり着く
……といったところでしょうか。
鬼門のおふだ
ここからは本作で登場する複数の呪いについて検証して行きます。まずは「鬼門のおふだ」またそこから派生していると考えられる、「右上から左上に何かを配置することで対象に悪いものを押し付ける呪い」が使用された痕跡についてです。
考案者は暫定的に「風水好きの同人作家」と考えていいでしょう。考案された時期は、アンソロ寄稿文の内容を信じるなら2000年代です。
「アンソロ寄稿文」「鬼門のおふだ(横次鈴版)」「あらいさらしのメール」など、「右上左下ルール」に基づいて呪いを拡散している者がいることはほぼ間違いありませんが、拡散者と「風水好きの同人作家」の関係は不明です。
「横次鈴」が「風水好きの同人作家」の本名だという「四十代女性」の言葉を信じるなら、拡散者は別にいるのかもしれません。
「あらいさらし」のメールは、一次の拡散とも言うべき、会社員の受け取ったメールそのものと、二次の拡散とも言うべき会社員の体験談のメールがありますが、一次メールの拡散者は「漢字四文字の男性」を、二次メールの拡散者は「横次鈴」を呪おうとした形跡があります。(「横次鈴」の名前が出ている箇所は「筆者」の改ざんを疑う必要はあります)
ところで、あらいさらしの対象となった「漢字四文字の男性」とは一体何者なのでしょうか?はじめは一次メールの拡散者が「不幸になる」掲示板から適当に拾ってきた名前に合わせるように設定を改ざんしたのかと思ったのですが、それならもっと写真にマッチしそうな名前を持ってくればいいだけです。
一次メールに含まれていたという拡散者の恨み節を見ても、「漢字四文字の男性」に対する恨みと、彼を恨みきれなかったセーラー服の女性に対する恨みは別のものとして考える必要がありそうです。
トリミング画像の呪い
冒頭でも少し触れましたが、セーラー服の女性のトリミング画像については複数の記述があります。
A
「洋子の友人」がアナログな方法で拡散
トリミング済
一見して異常な画像には見えない
B
「すず」が掲示板で拡散
トリミング前(べったりと座っている)(床と壁が見える)
目と首の皮膚に異常
C
「あらいさらし」のメールに登場
明らかに皮膚の腐敗が見られる
トリミング済
「首から上」に何か異常?
D
「洋子の友人」が所持
掲示板を写真に撮ったもの
トリミング済
元の画像自体はAと同じもの?
E
掲示板で広まったもの
トリミング済み(上半身までしか写っていない)
一見して異常な画像には見えない
ブロガーが見たEはA、Dに類するものでしょうか。これの拡散は2000年代後半以前でほぼ確定できそうです。
ところでこのA、Dの画像ですが、実は画像自体はオカルトな背景がなくても作成可能なものです。さて、「本物」とそれ以外を区別することは可能なのでしょうか?
また、少し気になるのは、トリミングされた画像自体に呪いの効果があるのか、という部分です。「洋子の友人」が洋子に写真を撮らせた流れでは怪しい会話もありますが、洋子の感じた不調については怪奇本のインタピューを受ける上で「盛られた」ものである可能性も考えなければいけません。実際、Eを見た人々は特に呪われた様子がありませんし、BとCについても特に恐ろしいのはトリミング前の画像だと考えられます。
拡散者の「すず」と思しきジャージの女性などはそれをわざわざトリミングしています。これについては自覚的に呪いとして使用する意図はなかったのでしょうか?
名前書き換えの呪い
トリミング画像と違って、「名前書き換えの呪い」は現役バリバリで「四十代女性」(と筆者?)が活用している様子です。
・「コピペ保管庫」にて「142」が拡散
・その後、「最近は本人があまり乗り気ではないので」、「長編小説」の投稿者が周辺情報を拡散
「せっかく考えた」という書き込みから、「142」自身が考案者とみて良いでしょう。
改ざん前からこのルールを使用していたと考えられるのは「あらいさらし一次メール」「長編小説内の夢小説」「長編小説自体」です。
明晰夢音声の呪い
これに関しては、他とのつながりの検証が難しいです。「逸らすな」の男性の発言から考えても、誰がはじめて誰が変質させたのか不明。「著者」は多数の人間があるいは面白半分で、あるいは悪意で呪いを変質させたと解釈しています。
名前書き換えの呪いと通底するものがあり、大元は「142」か「長編小説の作者」とも考えられます。が、彼らが意図して呪術化に関わったのかは不明。拡散者(あるいは拡散者たち)の意図を離れて変質した可能性もありそうです。
全体をおさらい
というわけで、呪いの拡散者について整理してきましたが、ちょっと困りました。例えば、あらいさらしのメール発信者については「右上左下」「トリミング写真」「名前の書き換え」三つの呪いを使っています。ということは、最終拡散者はどの断片に関わっていてもおかしくないのです。
「あらいさらし」については、一次メールの二次メールの拡散者では呪いのルールに対する知識が違う、という解釈もあり得ますが。
くよくよしていても仕方がないので、次の段階として、大まかな時系列を並べてみます。
・「142」、名前書き換えの呪いを考案。(無自覚?)
「名前書き換えルール」
・「夢小説投稿者」、夢小説の呪いを拡散
「名前書き換えルール」
・「洋子の友人」、洋子に写真を見せる(写真が偽造の場合)
・「洋子の友人」、呪詛返しを受ける?
・決定的な出来事が発生。
・「すず」、トリミング前の画像を拡散。
その後、写真をトリミングする形に修正
「トリミング写真のルール」
(2000年代)
・「アンソロ寄稿者」、鬼門のおふだに関する寄稿小説で呪いを拡散
「右上左下ルール」「名前書き換えルール」
(2010年代)
・「長編小説投稿者」、「142」の所業ほかを拡散
「名前書き換えルール」
・「あらいさらし二次メール送信者」、メールで呪いを拡散
「右上左下ルール」「トリミング写真ルール」「名前書き換えルール」
(2010年より少し前)
・「四十代女性」、鬼門のおふだ(横次鈴版)を拡散
「右上左下ルール」「名前書き換えルール」
(2020年代)
扱いに困るのは、「風水好きの同人作家」「霊感学生の友人」「あらいさらしの一次メール」の話が事実であるのか?という点です。いずれも「名前の書き換え」で「横次鈴」を呪うために引っ張ってこられた怪談とも解釈できます。
これについては、やや強引な解釈をつけるしかないでしょう。すなわち、拡散者は「横次鈴」を呪うにあたって、より実在性の高い怪談を使った、それはすなわち拡散者自身が当事者となる怪談だ、という解釈です。
登場人物の整理
筋道の立ったストーリーを導くなら、断片をつなぐ人間関係をある程度まとめなければなりません。難しいのは、名前や細かい出来事は改ざんの可能性があること、呪いの性質上呪った側に呪われたような現象が発生する場合があることです。
やや邪道ですが、ここでは人物の持つ雰囲気に注目します。事実の書き換えが可能である以上、読者としては「わざわざ改ざんする意味のない描写」に着目せざるを得ないのです。
まずは呪いの拡散者、それも対読者の拡散者にフォーカスします。
自覚的な拡散者と考えられるのは、「アンソロ寄稿者」「あらいさらしメール送信者」「洋子の友人」「すず」「長編小説の投稿者」「四十代女性」などです。
「鬼門のおふだ(横次鈴版)」の拡散者もいますが、後の自白を考えるとこれの犯人は「四十代女性」その人だと考えた方がいいでしょう。
拡散者は全て同一人物にも思えますが、「洋子の友人」をここに加えるのはやや躊躇があります。洋子との再会時に彼女は拡散行為をしていません。トリミング写真を見せてはいますが、トリミング後の写真にはほとんど呪いの効果はないと考えられます。
「洋子の友人」が積極的に行なっていたのは「あいつみたいに行動すれば、よくないものがあいつに行く」というおまじないです。
一方で、「何して全部あいつに行く」「続けられんだよねだって死んでても生きてるから」などの言及を考えると、ロム専君のようなただ巻き込まれただけの人物にも思えません。
さておき、拡散者たちの特徴です。「アンソロ寄稿文」「あらいさらし二次メール」「霊感学生の友人の投稿」などはある程度特徴があります。
構成のしっかりした文章であり、重すぎも軽すぎもしない表現で、異常な事態に戸惑いながらもある程度の意思を持って対処できるような思考を前提としている。メタ的に言ってしまえば小説として出版するための体裁を整えればそうなるのでしょうが、「長編小説」に含まれるいかにもなアマチュア小説や他の場面で出てくる話し言葉調の文章との書き分けは無視できません。
ひとまず拡散者を同一人物と考え、この人物を仮に「α」とします。
αの特徴
・創作者としてはやや硬い文体を使用する
・「ジャージの女性」と同一人物だとすれば、背中まで垂れる黒髪。
砕けた態度。
・語尾に(笑)などの表現はあまり使わない。使う場合は「w(単芝)」
次に、呪いの考案者について考えます。複数の断片で「霊感があるように振る舞ったり風水を語ったりすることが好きな、少しおっとりしすぎている女性」が登場しています。「風水好きの同人作家」「洋子の友人」「142」「霊感学生」が該当します。
この人物を仮に「β」とします。
βの特徴
・風水好きで色々なおまじないを考案するが、それを本当にしてしまう
・浮世離れして話題がよく飛ぶ話し方。おかしくなっているフリをしているときには少し乱暴な言葉づかいをすることも。
・小柄で活発な印象。αと初対面の際には茶髪を後ろでくくっていた。
拡散の意図
ここまで考えてきて、重要なことがすっぽ抜けているような感覚があります。それは、拡散の意図です。読者としては「呪う側」に加担させられるのは困ったものですが、拡散者の側にはどんなメリットがあるのでしょうか?
例えば、呪いの加害者が増えることで呪詛返しの負荷が分散されるというなら話はわかります。ちょうど最近話題になった映画「呪詛」の裏返しのような話です。
あるいは、「α」はそれほどまでに「横次鈴」が憎いのでしょうか?呪いの加害者が数人や数十人では足りないほどに?
「なんであの人を選んだんですか?」という疑問が「筆者」から出てくる以上、この解釈は無理があります。むしろ、ルールに従って呪われる対象を選んだのは副次的な行為であるということが伺えます。
はたまた、呪詛返しを受けた腹いせに、不特定多数を巻き込もうとしているのでしょうか?「著者」は第四話の途中で「もう誰でもいいです」とコメントしています。(注意深く引用のレイヤーを分析すれば、発言者が「著者」だとわかります)
もともと「名前の書き換えの呪い」は悪いことを肩代わりしてもらうために作られたものなのですから、それを目的としたと考えるとわかりやすい構図にはなります。
しかし、この呪いで悪いものを逸らすことができるのは、呪った本人だけのはずです。もちろん、呪いが変質して呪詛返しが発生している以上、ルール自体が変化している可能性はありますが。
それにもう一つ疑問があります。βが亡くなった時点では、αに呪詛返しを受ける理由がないのです。
実際呪詛返しを逸らそうとしているのだから、逆算して呪ったということだろう、と考察するのは簡単です。ですが、どうにもそれが思考のドツボに思えてならないのです。何か別の理由があるのではないでしょうか?
考えてみれば、αは長編小説での呪いの拡散について、「最近は本人があまり乗り気ではない」とコメントしています。「本人」という言葉のチョイスを考えると、αは自分を当事者とは見ていないことがわかります。では?当事者に当たるのは誰なのでしょうか?
尻切れとんぼの疑問点がどんどん溜まって、全貌が見えそうで見えません。しかしご安心ください。後半ではきっちり決着をつけます。
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