幼少期のタイムカプセルーババ抜きと文化のこと
フレイザーの『金枝編』(上)(2003 筑摩学芸文庫)で、ヨーロッパの「麦女」について読んでいた。
ヨーロッパでは麦の命は「女性」によって表象されるのか、と
「麦刈り」って、やっぱりそれを「殺す」場でもあるんだねぇ~。
麦から麦へと逃げ去る「母麦」、最後においつめられる、「母麦」…。
「麦の母」を、それに捕まえらないように、みんなで追い出す、と。
スペシャルの麦。
やっぱり人形はつくるんだな。
麦刈りと人形の関係、パキスタンにもあるんだよなぁ…。パキスタンのほかでもそういうことするってことあるのかなぁ…。
「麦の母」にさわると罰ゲームになるんですな。
そして、ポーランドとリトアニアの事例だけでだが、その「麦の女」の名前が………「ババ」(「老いた女」の意味らしい)。
………。
…………。
え、ババ?抜き?ババ抜き???。
いやいやいやいやいやいや
なんであれって「ババ」なん?とか、ジョーカーって何?とか思ってはいたけど、ババ抜きってヨーロッパの麦刈りのことだったん???(てか英語の”ババ抜き”って「ババ」じゃなくね)。
日本で無邪気に遊んでいた幼いわたしは、麦農耕牧畜文化というヨーロッパの基層文化を勝手に埋め込まれてたの?誰だよこれわたしの生活にまぎれこませたの。
と、なんだか「それを今わかった(?)」という事実に憤慨してしまい、日本の遊び大全みたいな本まで大学図書館でひっくりかえしてみてみたけど、ババ抜きと麦文化の関係だの、これが日本にどういった経緯で紹介されたものだのはみつけられていない。
こういうのってヨーロッパの人たち意識的にやったのかどうか、それとも、なんとなくやったのかどうかも、わからん。
麦じゃなくてあらゆる精霊全般(エクソシストとかw)に対する考え?という可能性も?
でもどんどん束にされてカードは減らされていくとともに居場所がおいつめられていくババ、ってまんまじゃね?
なんか無性に腹が立ったので(異文化の生業に対する民俗学的知識の枠組みなんてものをなんの断りなしに幼少期にひろめられたという)
がーっと「書こうか!」と思ったけど、私の知りたいものがでてくるかどうかわからなくなってきたので(”下手人”の感情みたいなものに触れられるかどうか)保留中。
果たして西洋人の側に明確な意図があったのかどうか(どこの国からなんでしょうねぇ)。
なんか調べなければならなそうな範囲がものすごく広くなりそうな気もして、それがわたしの主たる関心といえないような気もしたので、
誰か追及してくれたら読みたいデース。
わたしのほうはというと、パキスタンの山奥(人々自身はアフガニスタンからの来歴)でわたしが見てきたことによって、いろんな新しい関心がヨーロッパを含めて呼び起こされていること自体が楽しい。
わたしがここを調べたことで、ヨーロッパの文化と思われていたものが、実はパキスタン、アフガニスタンまで広がっていたとか、それは「ヨーロッパ」の文化じゃなくて「麦農耕&牧畜」の文化じゃないのか、といった読み替えを提案できるようになっていくことが、嬉しい。
女性の調査者ってのもまた少ないしねぇ。