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『スイマーズ』(ジュリー・オオツカ/著、小竹由美子/訳 新潮クレスト・ブックス)

変わりゆく時の中で、我々は何を見つめる

水の中では、世界が変わる。
身体の動きも、時間の流れも緩やかになって。
水は優しい。我々の身体にひたと寄り添い、包み込み、一体となる。
やがて自らの中にまで、青く澄み渡る水が満ちていくような静謐な空間。
つかの間の万能感すら得たような心地になる。
ほとんど止まっているかのような時の中で、清らかな水とともにあることは、神秘すら覚える。
自分には、地下のプールに通い詰めるスイマーズの心理に共感できる部分が多くある。
人生の中でこのような時間を持てることは、一言でいえば幸福だろう。
しかし、彼らも心の片隅で分かっていたように、人はいつまでも同じままではいられない。
長い時間をかけて安定していた世界に何かのきっかけで綻びが生じた時、自分の中の平衡状態が崩れていく。そこへ様々な別の要素が組み合わさり、改変され、また新たな平衡状態が生み出される。その≪要素≫とは新たな決意か、諦念か、失望か。あるいは、予期せぬ視座の転換。これまでと変わってしまった、人生の方角。
人の営みは小さな崩壊と再生を繰り返しながら、緩やかに終焉へと向かっていくのだ。

スイマーズにとって、地下のプールという長きにわたる安住の地がなくなってしまうという疑惑が事実に変わること。
娘が、認知症の兆候があると疑われた母親の、記憶、そして人格が少しずつ崩壊していくさまを目の当たりにすること。
この両者はつながっている。

作中のスイマーズのうちの一人、アリスは初期の認知症だった。プールの閉鎖後、自立した生活が困難になり施設へ入所することになる。
個人的にはアリスと、その娘の関係性が気になる。
アリスは若い頃、自身が「常におしゃれ」で「髪ひと筋の乱れもない」くらい外見に気を抜かず、娘の身なりも気にかけてあれやこれやと買い与えたり、夜遅くまで手がけた自作の服を着せたりしていたという。そんなところから察するに、とても面倒見が良く愛情深い母親だったようだ。
しかし、娘としては愛情を感じながらもそれをどこか疎ましく思っていたところがありはしなかったか。早々に実家を出て遠い都市で暮らし、たまに実家に帰っても母親のマシンガントークを避けるように自室に閉じこもる。作家活動で忙しくし、母のことを顧みる機会はほとんどなかった。どこか、母と向き合うのをずっと避けていたような風があるように思う。そして、気付いた時には手遅れだった。

何かあってからでは間に合わないことがある。今のうちに、できることをしておいた方がいい。
そう頭では分かっているのだけれど、長く慣れ親しんできた日々の生活は、これからもずっと続くような錯覚に陥ってしまう。そこに突然、避けようのない≪ひび≫が入った時、いかに振る舞えばよいのか。その時にならなければ分からないことは、どうしたってある。
見えない未来のために、今やろうと思えないことをするのは難しい。長く疎遠になっていた家族に対して、もっと何かしてあげたらよかったと悔やむ一連の流れは、もはや必然であるとすら感じてしまう。その時の気持ちは、その時に噛みしめるしかないのではないか。

地下のプールで泳ぎ続けるスイマーズは、時の波をくぐり抜けていく中で変わりゆくものへの否認、葛藤、受容を繰り返す、我々の姿を映し出しているのだと思う。


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