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村上春樹さんの名誉博士学位贈呈式が素晴らしかった話

先日、村上春樹さんの早稲田大学名誉博士学位贈呈式とその祝賀記念イベントに参加させていただいた。

オンラインで申し込んで抽選に通ると参加できるシステムで、なんと参加無料だったのだけれど、これが本当に本当に素敵だった。

贈呈式及び祝賀記念イベントは、早稲田大学の大隈記念講堂で行われた。
村上春樹ライブラリーのすぐ近くだ。

早稲田大学 大隈記念講堂

◇ 村上春樹ライブラリーで、コーヒー&ドーナツしよう!

当日は晴れ。
学位贈呈式がどんなものかよくわからないけれど、いつもより少しきちんとした服を選んで出かける。

開始は15時、開場は14時15分。
わたしが早稲田大学の門をくぐったのが13時50分で、たっぷりと余裕をもって到着したつもりだった。

よし、始まるまでにはまだ1時間以上あるし、村上春樹ライブラリーのカフェでのんびりしよう。
コーヒーとドーナツを注文して、持ってきた『ダンス・ダンス・ダンス』をゆっくり読もう。

そうやってうきうきと村上春樹ライブラリーに向かいかけたのだけれど、ふと「そうだ、会場がほんとに大隈記念講堂かどうか、念のため確認しておこう」と思いついた。

わたしはほんとに抜けているたちで、「行きたい場所が思っていた場所とぜんぜん違うところだった」というようなことが、冗談抜きで、しょっちゅうある。

いや、でも今日は「確認しよう」と思いつけたのだからもう大丈夫。えらいぞわたし。
確認してから安心して飲んだほうがきっと美味しいもんね、コーヒー。

そうやって自分を褒めながら会場に向かった、のだけれど。


◇すでに長蛇の列

会場前は、すでに長蛇の列だった。

え、ちょっと待って。
あれ、時間、間違えた?
…大丈夫、時間はあってる。

あ、そうか、今日は全席自由席だった。
いい席に座れるように、みなさん早く来たんだ。

あれ。
のんびりコーヒー飲んでる場合じゃなかった。
わたしも並んでおかなくちゃ!


◇ 豪華なお土産

そんなこんなで少しあたふたしたけれど、あれよあれよという間に開場し、無事、ほぼ正面の前から5列目の席に座ることができた。
(通路を挟んでななめ前の関係者席には、見間違いでなければたぶん、芥川賞作家の川上未映子さんがいらっしゃった。優雅な佇まい、美しい横顔。)

席についてほっと一息つき、入場する際に参加者一人ひとりに手渡された手提げ袋の中身をのぞく。

中には今日のプログラムと、

え!
かえるくんをモチーフにしたクリアファイルと!!

ええ!
し、柴田元幸さん編の、ほ、本…!!!

参加無料なのに、いいんでしょうか…
すごい豪華…うれしい……!


◇ 村上春樹さん、登壇

定刻になり、会場の照明が落ちる。

司会のかたのアナウンスがあり、早稲田大学総長の挨拶があり、いよいよ村上春樹さんが登壇した。

春樹さんは大学特有のガウンと帽子(ハリー・ポッターみたいなあれ)を身につけ、なんと足元はカラフルな差し色の入ったスポーティなスニーカー(!)。
照れくさそうな表情と、どことなく居心地が悪そうに見える動作が、わたしの席からはよく見えた。


◇ 春樹さんの物語に、生きることを赦された日々

春樹さんが総長から学位を授与された瞬間。
なんだか胸がいっぱいになって、ほんとうにまったく思いがけず、いきなり泣いてしまった。

春樹さんの学位授与に感動したわけじゃない。
春樹さんの作品に救われたたくさんの日々が一気に蘇って、ぼろぼろと涙がでた。

17歳で初めて春樹さんの作品世界に出会い、のめり込み、飲み込まれ、泣き、笑い、揺さぶられ、救われ、赦されてきた日々。
不完全なわたしのまま生きていいんだというメッセージを、春樹さんの作品から何度も何度も受け取った日々。
不安定な時期に、「人は人であなたはあなただ」という言葉が一貫して聞こえてくる春樹さんの本たちを毎日毎日お守りのようにバックに忍ばせていた日々。

そういう記憶が一気に押し寄せ、わけもわからず涙がでた。
見渡す限りわたしみたいに泣いてる人は見当たらなくて恥ずかしかったけれど、どうにも止められなかった。


◇ 春樹さんのスピーチ

学位贈呈が終わり、「村上春樹様が退場されます」というアナウンスのあと、春樹さんがすっとマイクの前に立った。

「これほどたくさんの人に集まっていただいて驚いています」という言葉に続くスピーチは、3分ほどの短いものにも関わらず会場を何度も笑い声で満たした。
たぶん予定されていなかったであろうスピーチは、とても春樹さんらしく、ユーモアとウィットの効いたものだった。

春樹さんのその声と話に笑いながら、ますます涙が出てくるのだから閉口した。
わたしの顔はきっとぐじゃぐしゃだったに違いなく、マスクをしていて本当によかったと思った。


◇ ジャズと朗読

そのあとに行われた祝賀イベントも、とてもとても、素晴らしかった。

村上春樹文学の研究者による講演に、ロバート・キャンベルさんによる村上作品の朗読とその作品に出てくるジャズの(一流ジャズミュージシャンによる)演奏。

祝賀記念の演奏曲目と朗読書籍

舞台照明の灯りは幻想的で美しく、会場にはかすかにアロマの香りが漂っていた。

魔法のような時間。
なんて素敵なんだろうと、うっとりした。


◇ 「誰にでもひらかれている」ということの豊かさ

村上春樹さんの贈呈式とそれに伴う祝賀イベントは、文化的にも芸術的にもとても豊かなものだった。

でもその内容の豊かさもさることながら、この豊かさに「無料で触れられる」ということ自体が素晴らしく豊かなことだったなあと、改めて思う。

これだけの豊かさに触れるチャンスが、経済的自由があるかどうかに関わらず誰にでも開かれている、ということ。
その意味は、ほんとうに大きい。

芸術を大切にするヨーロッパ諸国に比べ、日本ではこれはなかなか貴重なことなのではないだろうか。


◇ すべてが本物になる

春樹さんの長編小説『1Q84』の扉に、"It's Only a Paper Moon"というジャズの歌詞が書かれている。
こういう歌詞だ。

ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる

"It's Only a Paper Moon"


祝賀イベントではこの歌詞が引用され、司会をなさった佐久間由梨さん(村上春樹ライブラリー副館長)が、次のような主旨のことをおっしゃった。

「タイトルの Paper Moon というのは、紙の月、つまりハリボテのことです。
ハリボテであっても、それを見る人々が信じるのなら、それは本物になる。
同じように、わたしたちが芸術を信じるのなら、それは本物になるのではないでしょうか」

祝賀イベントの舞台上で繰り広げられたものは、まさに芸術と呼ぶに相応しいものだった。

その芸術は、いわば超一流の「つくりもの」だ。それらはたぶん、なくても死なない。

でもそれは、わたしの心を震わせ、笑わせた。
陶酔させ涙を流させ、その感動は本物で、間違いなくわたしの血肉になった。

なくても死なないけれど、生きることを何倍も豊かにするものだった。

この文化的豊かさが、誰にでも開かれているということ。
そのことの価値は計り知れない。

大学という教育機関が、その文化的・学術的・芸術的豊かさを創り出し、ひろく一般に提供すること。
その役割を担ってくださった早稲田大学には、敬意を感じる。

あの場に参加させていただいたことは、わたしの人生においてほんとうに素晴らしい体験だった。

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お読みいただき、ありがとうございました!

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