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2年ぶりに実家に帰る 2024/7/24

こんにちは!

だいすけです!

今日は転入届やその他諸々
やらなければならないことが
たくさんあって、役所での
事務手続きをしてきました。

僕は今、「携帯なし」、「移動手段なし」の
マダガスカル人のような生活を
日本でしています。

Wi-Fiあるところに行かないと
連絡は届きませんし、移動手段もないので
バス、電車を駆使して、いけない時は
徒歩で向かいます。

ですが、外はすでに灼熱地獄。

顔から体から球の汗を流しながら
目的地までいくわけです。

今日は転入届、保険、年金の手続きの
ために、土浦市役所へ。

というかそもそも今日は
朝から地元の栃木に向かうつもりだった
のですが、こちらで色々手続きを
しないといけないということが
わかり、急遽予定を変更して、
こちらで手続きをしなければならなく
なりました。


朝9時にもかかわらず、すでに
外は熱風地獄。

もはやサウナなんじゃないかと
思うくらいの暑さでした。
真冬からきた僕にはもう辛いです。

辛すぎて、若干気持ち悪く
なってきました。

水は持ってきてましたが、
それではどうも足らないようで
アクエリアスを自販機で購入。

日本は自販機なんて便利なものがあって
本当に素晴らしい国です。

しかもその自販機が綺麗な状態で
置かれているのがまたさらに素晴らしい。
(たまに落書きされているのも見ますが)

アクエリアスを急いで補給したら
たちまち元気になりました。

水だけでなく、塩分も大事です。

午前中に役所での手続きが無事に済み
その後はハローワークへ。

日本に帰る前に失業手当の延長手続きを
しておらず、(というか延長できることを
知らなかった)。

今日一か八か申請ができるのか
相談してきました。

役所からハローワークも遠くて
バスで10分行って、さらに歩きで10分くらいの
ところ。

バスに乗り込み、ふとタクシーべ(市内巡回バス)を
思い出しました。

静かなバス。

あの何言ってるかわからないお金を受け取る人も、
ぎゅうぎゅうになって乗ることもない
日本の市営バス。

あのボロボロのきったない
最初は乗ることを躊躇してたバスも
今となってはちょっぴり恋しいです。

最近、目の前に流れている風景が
時折「夢なんじゃないか」と思う時が
あります。

自分がその世界に溶け込めていないような
そんな感覚でありながら、僕がマダガスカルで
悪夢として見ていた日本に帰ってきてしまった
時の感覚と非常に似ていて、少し恐ろしささえ
感じることがあります。

でも、夢と違うところはちゃんと
楽しい思い出があってちゃんとやりたいことをやって
たくさんお土産を買ってきたこと。

急な変化でまだ体が慣れていないだけ
だと思います。
時期に慣れていくことでしょう。

ハローワークに到着し、
要件を相談し、窓口を案内されたのですが、
ここからが大変でした。


1時間経っても呼ばれず。。。

一瞬ここはマダガスカルか?と
思ってしまいました。

こんなに待たされることあるのか?と
不安になり、自分の番が飛ばされていないか
確認するとちゃんと飛ばされずに
受付がされていました。


ですが、2時間経ってもう無理と
帰ろうと思ったところようやく呼ばれました。

給付の受け取り延長については
このような感じでした。

「JICAで2年間マダガスカルにいたことを
証明できれば、給付の可能性はあります。」
とのことでした。

つまり、証明できても給付ができない
可能性があるということです。

派遣前の皆さん。
僕みたいな適当なやつはいないと思いますが、
日本を離れる前に給付延長しておいてください。

終わったのは16時前。

結局3時間手続きにかかりました。

くたくたになりながら、
急いで、家に戻り実家に向かう準備を
しました。


電車に乗って、柏で乗り換えようと
したのですが、ここでハプニング。

柏で降りて、階段に差し掛かったところで
電車の棚に置いていたバッグを忘れている
ことに気づきました。

幸い、電車は出発前。
急いで、電車に戻ってバッグをとると
同時に電車のドアが閉まってしまいました。

そのまま、柏を通り過ぎ、松戸まで
行ってしまい、栃木についたのは予定の
40分以上遅れてからになってしまいました。

駅を降りて、外に出ると
父親の車が停まっていました。

まずは「久しぶり」。
2年以上ぶりの再会です。

母とはたまに僕の方から何かあれば
連絡してましたが、母から何か
連絡があったわけではないので
全くこちらの様子がわかりませんでした。

畑仕事でいい色に焼けている父の肌の色は
まるで、途上国でも行ってきた?と
聞きたくなるくらいでした。

そして、60に近い父の顔には
今までなかった深いシワが刻まれていました。

今までもあったのかもしれませんが、
意識して、見たのは今日が初めてで
時間の流れを感じました。


家に帰るまで、2人に近況報告を
して帰りました。

僕はご覧の通り、とんでもないくらい
色々「持ってるエピソード」が
ありますが、父、いや家族も
負けてませんでした。

僕が帰ってくる前に両親の乗る車が
鹿に突っ込まれて、大破したり
(2人は無事でした。)
父の膝十字靭帯が断裂したり、
その後すぐに半月板損傷したり。

どうしたらそんなことになるんだと
僕が突っ込みたくなるくらい
いっぱいエピソードを2年間で
蓄えてました。

血は争えません。

家に帰って、母親と再会。

「おかえり。久しぶり」と
二言目には
「まぁまぁ焼けて帰ってきたんじゃねん」と
群馬と栃木の訛りがバリバリに混ざった
声を聞けました。

心の中で
「ああ、帰ってきたんだなぁ」と
感じました。

僕、まあまぁ焼けて帰ってきた
らしいです。

実は父親は僕が帰国の日にそのまま
帰ってくるものだと思っていたらしく
自慢のミネストローネを作って
待っていたらしいのです。

4日煮込んだミネストローネ


父の作るミネストローネ。これ本当にうまい。

父が作るミネストローネは
お店で出せるんじゃないかと思うレベルで
美味しくて、学生の頃からよく
作ってくれていました。

あまり形にこだわらない父はよく
「それはどう考えても合わないだろ」という
謎のキノコを入れて、子供達から
不評を食らってましたが、今日は
シンプルでした。

あ、でもなぜか鶏肉が入ってました。

4日煮込んだスープは
やっぱりうまかったです。

僕も、マダガスカルで作ってましたが
まだ敵いそうにないですね。

2年間の積もり積もった話を
色々気いたり話したり。

とりあえず、みんな元気みたいで
よかったです。

妹の娘たちも大きくなっていて
写真を見せてもらったら一層
妹に似ていました。

2年ぶり覚えてくれてるかな?

家の中も色々変わっていたり、
両親が結婚した時に母が
嫁入り道具として持ってきた
冷蔵庫が変わっていたり、
僕の部屋が倉庫になっていたり、
2年という時間の残酷さと
インパクトを肌で感じました。

ちなみに冷蔵庫を変えて
「電気代が4000円も浮いちゃったんよ!!」と
母はものすごく嬉しそうでした。
よかったねかあちゃん。

みんな、冷蔵庫は定期的に変えましょう。


というわけで今日はこんな感じ!

それじゃあまた!

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