幼さを謳歌したが価値

電車に揺れる。ふと車内を見回すとロングウルフのミステリアスボーイとストレートロングの清楚ガールが横に並ぶ高校生カップル、ばっちりメイクにヘアセットをキメこんでアイドルのように可愛い女子高生たち。私は高校生をド田舎で色気も洒落気も大人気もない芋女子高生として過ごしたから都会の高校生たちのあまりの大人っぽさにいつも驚き感嘆する。
最近は小学生でもジルスチュアートでメイクアップ?JKだけど彼氏は20代?そんな話題もよくSNSで目にする。恋人すらいないけれどもしも奇跡的に素敵なダーリンと巡り会って結婚して愛する16歳の娘に「お母さん、彼氏は25歳の美容師なの」とか言われたらどうしよう!年齢とか関係ないわ〜〜〜多様性の時代だものね〜〜〜とか綺麗事言いたいけれどちょっと待って!!!!!
子供時代に見た大人の女性とても魅力的で羨ましかった。大きさとかまったく気にしてなかったけど、おっぱいが大人の女性の象徴のような気がしてそれがどうしても欲しかった幼少期。風船を服の下に入れておっぱいを作ったことだってあった。成長したらそれなりのおっぱいを手に入れた。初めて母親のメイクポーチからマスカラを使った12歳。マスカラだけで超超超可愛くなれた気がした。気分はまるでAKB48のともちんだった。いまはファンデーション、チーク、グリッター、ハイライトその他もろもろ駆使して顔面工事完了させて外出する日々だ。
ピンクのプリキュアパジャマを着て浮き足立っていた幼き私は自然と黒一色の私服ばかり着る大人になっていった。もうプリキュアパジャマは着れないんだ。だけどあの頃、プリキュアパジャマを着ることができてよかったな。若さはかけがえのないものだ。それは幼さに対しても言える。大人になろうと背伸びすることなんていくらでもできる。そしてそうせざるを得なくなっていく。けれども子供には二度と戻れない。幼さは次第に恥であるとひそひそ声で笑われるようになる。幼いねって微笑んでくれた人たちはもういない。いくら戻りたくても生きながら重ねていくナンバーが私たちに幼さを許さない。だから言いたいの。その瞬間しか体験できない幼さの価値を謳歌したが勝ち!

いいなと思ったら応援しよう!