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「大丈夫」の受け取り方がわからなくてその優しさが痛い


「なんとかなるよ。」
「大丈夫だよ。」

結論、「人生なんとかなる」なんてことはない。
「なんとかなった」なんて進んだ先の結果を如何様にか肯定するだけの言葉でしかない。
「私なら大丈夫」ってなんなんだ?
私のなにが、どこが大丈夫なんだ?
君は私の何を見ているんだ?本当にそう思う?
私にとって君からの「大丈夫」は無意味な空気の振動か、あるいはインクの染みのようだ。こんなこと思うべきではないんだ。酷くひねくれた私は嫌われてしまう。こんな私であること自体が自己嫌悪。君からの「大丈夫」のエールでこの心は複雑骨折をしているようだ。心に骨なんてものはあるわけがない。
いや、心は何でできている?水分か?タンパク質か?
その居場所はどこだ?心臓か?脳か?
所詮、正体不明の行方知らずだ。

2月になり2週間程が過ぎ去ろうとしている。
12月から適応障害で休職をしていた私はなんとか仕事復帰をして生活を続けている。正直、職場での状況は何も変わってはいない。転職活動も上手くいってはいない。私はそもそも人生のターニングポイントで選択を間違えたんだ。散々言われた。過去の自分がもっと思慮深ければなんて後悔をしたってキリがない。私はダメダメなんだ。なにひとつ大丈夫なんてことはないし、なんとかなる未来なんて見えやしない。本当にそうなんだよ。
進むことでしか生きられない。だから、大丈夫じゃない私のまま大丈夫を信じるふりをして笑って生活を送り続けているだけでしかない。私はなにひとつ価値がない。誰からも求められていない。「そんなはずはないさ」と自分自身を奮い立たせて朝目覚めてみるも、夜になると周囲への視覚と引き換えに悲観論者の私だけが浮き上がってとてもよく見える。
終わっていくだけだ。弱音くらい吐かせて欲しかっただけ。大丈夫じゃないままで痛い。むしろ終わらせて欲しい。


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