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13日の金曜日とじぇいそんとアンニュイな気持ち

お気に入りのノートを開けて
いつものように日記を書こうと思い
日付を書き始める
そして書いたと同時に

13日の金曜日やん(-_-)…

てなった。
そう。今日は13日の金曜日


幼少期

いつかの夜のロードショータイムに見たマスクかぶってナタ持って人殺しまくる殺人鬼。逃げても逃げてもわけわからん詰め寄りかたで追い詰めてくるその不気味な殺人鬼に怯えちらかしながらもどうしても見るのをやめられなかった。

昭和のホラー映画【13日の金曜日 】

よって1週間近く眠れぬ夜を過ごした
よって13日が金曜日になる日が訪れるたびに、私の思考はマスクとナタが瞬時に浮かび上がるシステムになってしまった。

どうしてくれんのよってすごい思った
昭和のホラーのすり込みどうしてくれんのよ


チェーンソーもずっと怖かった
チェーンソーというモノにはもちろんその単語にすらも
長年激しく恐ろしいイメージが植え付けられてしまった

ほんまどうしてくれんのよって思った
ほんまどーしてくれんのよ

てゆーか

私何の話してんのよ (-_-)


日記書くはずやったのに、日にちと曜日書いただけでちっともペンが進んでないやん?昭和のすり込みの根深いホラー映画に根こそぎ持ってかれてるやん?

和やかみが欲しくてひらがなで書いたやん?



今日が13日の金曜日てことが原因かどうかはわからんが、

人間なんて所詮わかり合えない生き物だ

と唐突に思った
確かにじぇいそんとは永久にわかり合えない(-_-)


「人間なんてらら〜ら ららら ら〜ら〜♪」
という昭和の懐かしのCMソングとともに唐突に、アンニュイで哲学めいたそんなふうなことが、ふと頭に浮かぶ。

今日は昭和を懐かしむDAYなんだろうか‥
ナンジュウネン経っても覚えているフレーズとメロディではあるけど、何のCMソングやったのかはさっぱり思い出せない。

ぜんぜん思い出せなくてモヤっとしたのでGoogleで「人間なんてららら」って調べてみた。

とらばーゆのCMやった


そう
人間なんて所詮わからんし
わかり合えない生き物

わかったつもりになったとして
でもそれはただただわかったつもりなだけ

「わかってる」
なんてのはただの己の主観でしかないのかも
と思う
「アナタノコト全部わかってるよ」
なんて傲慢極まりないことなのかもしれない
とも思う

だから逆に
「わかってよ」「理解してよ」
っていうのもそれも傲慢なことなのやろうきっと

1人として同じ人間がいないという
分離のこの世界
言葉もなしに互いにすべてわかり合い通じ合う
なんてことができなのは 
だからもう仕方ないこと

分離のこの世界の法則


そして人間絡みでわかり合えなさすぎて

どんなに傷つくような思いをしても
どんなに腹立たしさを感じたとしても

ミエナイ誰かが教えてくれたように結局それは
projection = 投影
でしかない

自分の内側が外側に現れているだけ
内側=外側
それもこの世界の法則

目の前の相手にどんなに怒りや腹立たしさを感じようともやっぱりそれは己の内側の投影。
ココロの奥底に巧妙に隠れている思いや感情の数々。それらのただの出現なだけ。

そんなはずない!
自分はちがう!
私はこんなんじゃないっっっっ!!

って否定してしまう自分もいるけどでも
ファイティングポーズするその手をちょっとゆるめて、なんならもう白旗掲げて諦めて自分の内側よくよく見つめてみたら


やっぱ自分やん、、、


て思い当たるフシが見えた


そういえば昔、節分に鬼のお面かぶって我が子追いかけ倒した記憶あるわ(-_-)

じえいそん = 投影



そんなはずない!
私じぇいそんみたいなことしてない!
私あんなんじゃないっっっ!!



いや白旗揚げて?(-_-)



人間なんてらら〜ら〜 ららら ら〜ら〜泣






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