江戸の食事情と東京の食
<INTO THE FOOD VOL.32 メトロミニッツ FEB 2019の再掲>
総務省の2015年国勢調査によると、東京都の一般世帯数669万世帯における単独世帯(世帯人員が一人の世帯)の割合は、47.4%。高齢の単独世帯の増加、そして非婚化の影響も大きく、50%が単独世帯となる日はもうすぐだ。※国勢調査は5年毎の実施なので、すでに超えているかもしれません。
単独世帯が多かった江戸の街
単独世帯の食事は、総菜など中食の拡充や宅配サービスも手伝い、一人で食べる”孤食”は加速している。しかし、世帯の半分が孤食という世の中はなんとも侘しい。単独世帯でも、孤食でなく食事を楽しめる世の中であってほしい。最近、そのヒントがあるのかもと思うのが、現在の東京と同じく単身者が多かった、江戸時代の江戸の街(以下、江戸と表記)だ。
1603年に徳川家康が江戸に幕府を開くと、街づくりのために多くの公共事業が行われた。江戸には地方から多くの男性労働者が流入した。また、参勤交代制度で諸国の武家屋敷が置かれたことも人口を増やした。江戸時代の初期、約15万人だった人口が1730年頃には100万人を超えたという説もある。1800年頃のロンドン86万人、パリ58万人と比較しても大都市だ。男性単身者が多かったことを背景に、江戸では特有の食文化やビジネスが発達した。
専門店が多かった江戸の外食
食文化史の研究家、飯野亮一さんによれば、江戸では、単身者の食を賄うべく外食が発達した。中でも専門店の豊富さは大きな特色だ。握り寿し、天ぷらが屋台から発展したのはよく知られているが、「屋台以外にも多くの専門店がありました。蕎麦屋、鰻の蒲焼屋、里芋の煮物で飲ませる“いも酒屋”が人気でした。他にも汁粉、茶漬け、煮豆、田楽、ももんじ(獣肉)など、食べ手が目的に合わせて店を選べたのです」。
単身者は、安価な専門店をはしごして、日々の食を楽しんだようだ。事業主にとっても、専門店は仕入れが絞られ、リスクの少ない商売だったのではないだろうか。また、江戸時代の後期になると“煮売居酒屋”という酒を販売する酒屋と、煮物を中心に簡単な食事や茶、酒を出す“煮売茶屋”が融合した業態が繁盛した。これが今の居酒屋の原型となる。
今の東京で江戸料理
2016年に東京・芝でオープンした「食事 太華」の店主、海原大さんは江戸料理に魅せられた一人だ。当時の文献からレシピを紐解き、江戸料理を再現する。「江戸の人々は無駄を嫌いました。装飾をそぎ落とし、素材の味が引き立つ料理が特色だと思います」。「太華」では、刺身の調味料には、醤油が一般かする前に主流だった煎り酒、煮物の出汁は、昆布を使わない鰹だけの出汁など、今の和食と一味違う江戸の味を堪能できる。「他に江戸味噌と言って、当時、味噌の需要に供給が追いつかず、たった2週間で製造した麹の多い甘い味噌が人気でした。庶民の料理には、高級品の砂糖より麹の甘味が使われたはずです。結果、ヘルシーな料理でもあったのではないかと思います」。旨味の強すぎない江戸味噌は、食材の味を隠すことはない。全体的に調味料の選択肢が限られて使用量も限られる「太華」の江戸料理は、素材の味を繊細に感じる。これまでの江戸料理の甘くてしょっぱいとは違って、現代人の食嗜好に通じるものを感じるのだ。
江戸から現代へのヒント
江戸が外食中心だったのは住宅事情もあると、先の飯野さんは話す。「庶民の住居、長屋の台所は狭くて冷蔵庫もありませんでした。人々は、臭いをださないようゴミも最小限にとどめました。また、火を起こすと火事の心配も大きな問題でした。外食は、こうした問題解決の一策でもあったのです」。集合住宅で、食べ物の臭いやゴミを気遣うのは、時代背景は違っても今の東京と同じだ。江戸の外食に家庭ゴミの削減効果もあったのだと思えば、その利点を今の時代に活かす発想もありかもしれない。
そしてこれからの東京で、外食の重要な役割は家庭に代わる“共食”の場になることではないか。「江戸の専門店や煮売居酒屋には店主との対話、客同士の会話が常にあり、コミュニティとして飲食店がありました」(飯野さん)。その重要性は増すのでは。そして江戸料理には、東京の郷土食としての魅力もある。東京は世界の食が集まる場所と言われているが、東京オリンピックを機に、東京の郷土性が何かと求められれば、江戸料理は格好な対象ではないかと思うのだ。江戸の食は社会学的にも料理的にも、これからの東京の食を考えるきっかけとなって良いと思う。