National Day for Truth and Reconciliation
9月30日は2021年から始まった新しいカナダの祝日です。祝日というと何だか違う気がしますが、国が指定した祭日、休日です。
この長いタイトルをインターネットで訳すと
真実と和解のための国民の日
これだけではわかりにくいですね。
カナダのイメージって皆さんどんな感じでしょう?
私はと言うと、自然に恵まれた大きな陸地をアメリカと分け合い、大勢の国から来た移民と呼ばれる外国人が自分の第2の故郷として生活する、自由と個人を大事にする先進国、そんな理想的な国だと思っていました。
そして実際に生活して、嫌な経験も含めカナダを、バンクーバーを大好きになり、今があります。夫と出会い、結婚、二人の息子たちにも恵まれ、当時私を移民として受け入れてくれたカナダにはありがとうの気持ちしかありませんでした。今でも国歌 Oh Canadaを聴くと姿勢を正します。
心の中で歌います。
ですが、こんな私が大好きなカナダにもあったのです。暗く怖い闇の時代、まさに黒歴史が。
私もまだ勉強中で上手に皆さんにお伝えできるかわかりませんが、この新しくできた休日について、今日はちょっとお話させていただきたいなと思います。
この国民の日、政府のウェブサイトでは、こう説明しています。
The day honours the children who never returned home and Survivors of residential schools, as well as their families and communities. Public commemoration of the tragic and painful history and ongoing impacts of residential schools is a vital component of the reconciliation process.
直訳すると、
この日は、帰らなかった子供たちと寄宿学校の生存者、そして彼らの家族とコミュニティを称える日です。寄宿学校の悲惨で痛ましい歴史とその持続的な影響を公に記念することは、和解プロセスの重要な要素です。
この寄宿学校というのはレジデンシャルスクールとよばれ、当時カナダの政府が先住民たちに「正しい教育」を受けさせようという建前のもと小さな子供たちを家族から取り上げ、強制的に学校の寄宿舎に入れてしまいました。そこでは彼らの言葉を話すことは許されず、徹底的な文化の洗浄が行われました。その過程で力のない子供たちは暴力をうけ、大勢の子供たちが不衛生な生活の中で死んでいきました。
この悲惨な事実は多くの人に知られてはいたものの、政府も当時レジデンシャルスクールを運営していたカトリック教会も言葉を濁すのみで大きな一歩を踏み出せずにいました。レジデンシャルスクールでの過酷な日々を何とか乗り越え生存している人が声を上げても、それは何となくうやむやになりニュースで時折流されるものの、大きく取り上げられることはありませんでした。
私も何となくそういうことがあったんだなあという認識はありましたが、しっかりとした事実は知りませんでした。
それが、2年前の2021年夏、急に大きな進展を見せました。
自分達でなくなってしまった子供たちを探そうと、ボランティア活動をしていた団体がカムループスというBC州の小さな町で215体の子供たちの亡骸をグラウンド・ペネトレーティング・レーダー(地中レーダー機)をつかって確認ました。このことがカナダ全土で大きく取り上げられました。
このニュースはカナダを振盪させ、私も仕事中同僚から送られてきたニュースのリンクからこの痛々しい事実を知らされ、あまりの衝撃にしばらく仕事が手につきませんでした。215人です。そんなに大勢の子供たちが親に会えないまま亡くなり、こっそり埋葬されていたことは悲惨といってしまうにはあまりに残酷です。
215体の子供たちは埋葬された場所に名前を残してもらうこともなく、ただレジデンシャルスクールの周辺にまとめてうめられていました。生存者の助言をもとに、ボランティア団体が探査機を使って根気強く捜索した結果です。
彼らが一人の亡骸を確認する度に、その場所にマークとして旗を立てていくのですが、ニュースで見る215体分の旗がたなびく草原の映像は惨事の大きさを物語り、ニュースキャスターも言葉を飲むほどでした。
地道に行われたレーダーを使っての確認作業の結果は、専門家からも科学的に十分な証拠となりうるとの後ろ盾があり、この日から政府の煮え切らない対応、カトリック教会の静観が急変することになりました。
2021年、政府は事実を認め、謝罪はもちろん被害者とその家族への保証を約束し、その後フランシスローマ教皇も公的に謝罪しました。
215体の遺体発見に続いて、子供たちを探す運動は各地で展開され、その後サスカチェワンで751体、クートニーで128体と今まで事実であるにもかかわらず、何の動きも見せなかった政府が見て見ぬ振りができなくなってしまいました。
最初の215という数はあまりに衝撃的でしたが、その後に続く大きな数は、もう衝撃というより「またか。。」とつい思ってしまうもので、被害の大きさは私の想像をはるかに超えるものだと確信させられました。
各地でデモが起こり、当時レジデンシャルスクールを創設したFather Hugonardの銅像はデモ中に取り外され、怒ったデモ参加者たちにペンキをかけられ破壊されその後もしばらく放置されてしまいました。
あまりの被害の大きさと明るみに出た事実に、被害者とその家族親戚の心中を測ることは難しく、破壊したり壊れた場合、通常ならすぐに元に戻されるはずの公共物もこの意味深い銅像への対応はすぐには行われず、しばらくそのまま放置されていました。
下手に国民を刺激したくない、そんなふうにも見えました。ただ単純にどうしたらいいのかわからなかったのかもしれませんが、しばらくしてから銅像は元に戻されることなく撤去されました。
随分と長い説明になってしまいました。
今私の自宅があるこの土地も、先代のヨーロッパからきた移民たちが地元の人たちから騙し取ったものである事実。盗難物である土地。
個人の自由を尊び隣人に優しい国であって欲しいカナダ。でもその国の始まりは個人の自由を取り上げ苦しんでいる先住民も敬うことなく傷つけ抹消しようとすらし自分を守ってきた利己主義な政府の作り上げた国でした。
考えさせられました。今の私の幸せがこの黒歴史から続いているのかと思うと、呑気にカナダが大好きといってられません。
今の私にできることは何だろうと、この日がくると考えます。亡くなってしまった人は戻らないし、傷つけられた生存者が負った傷を治してあげることはできません。でもこの今の生活があるのは、そういう声なき子供たちとその子供たちを取り上げられた家族の犠牲があってなりたっていること、忘れずに日々過ごしていこうと思っています。
私の職場では今オンライン会議でも通常の会議でも、司会者は「今日私たちは、敬意を表し、リルワット、ムスクィーム、セチェルト(shíshálh)、スカミッシュ、ツリールワットゥース・ネイションの領土に位置しています。」とか「招かれていないゲストとして、この伝統的な土地から参加させていただきます。」というレコグニッション(認証)からはじめます。
学校でも集会の初めは必ずこのリコグニッションから始まります。こんなことをしたって、慣れてしまえはその意味も考えずにただ復唱するいつもの文章になってしまうと、このリコグニッションをよく思わない人もいますが、私はやらないよりやったほうがいいと思ってます。
これからカナダの未来を築いていく子供たちには目をそらさずにしっかり学習してほしい、そんな気持ちです。
カナダに温かく迎え入れてもらえたという私の余りにも世間知らずで楽天的だったキラキラしたイメージは一掃され、泥棒の一味に加担してしまった(大げさでしょうか?)ような何とも言えない罪悪感にさいなまれています。
それでも私はやっぱりこの街が好きだし、子供たちにもどうどうとカナダが自分の母国ということを誇りに思って欲しい。なので、できることからあきらめずコツコツ頑張りたいなと思っています。できるだけ関心を持って行事に参加する、気になる記事や書籍を少しずつ読んでいく、そんなところからやっています。
私たちは犠牲者〈ビクティム)ではありません。私たちは生存者(サバイバー)です。
9月30日の式典でのこの一言が心にささりました。この黒歴史を過去に葬ってしまわないよう、これからもずっと考えていきたいと思います。