指宿【2020/06/25】
半島に沿って走るローカル線は二両編成。一時間に一本の列車に遅れないように尿意を無視して急いで乗り込むが、車内にトイレが設置されていたので安堵する。暑いホームから車内に入ったときは涼しさを感じたが、ややけば立ったシートに腰かけると、開け放たれたドアから押し寄せてくる熱気のほうが意識を支配する。
駅を出た列車はゆっくりと都市部を抜け出てゆく。入居者の気配のない老人ホームや宗教色の強い政治広告を車窓に流してゆくと、次の駅で大勢の高校生が乗り込んでくる。コロナの影響で友人の弟は午前と午後でクラスを半分に分けて授業をしているそうだが、真昼にたむろする彼らはその類なのだろう。
昭和のような革製の黒鞄と、それとはちぐはぐなThe North Faceのリュックを背負った女生徒がきょろきょろと車内を見回している。痩せ型の男子生徒は腰かけるのを待ちわびたようにスマホにイヤホンを挿し何らかの動画を見始める。
やがて景色は山間の鬱蒼とした崖と、山々のあいだにある開けた土地に広がる田園風景を交互に代えていくようになる。遠くの山間の寺から立ちのぼる細い煙にも見飽きてくると、開けた左手に海が見える。
指宿に到着すると、降りる我々に入れ替わって騒がしい中年の女性二人が黄色い列車に乗り込む。ホームの自動販売機で最も暑さを解消させてくれそうなスコールを買い、一気に飲み干す。
ICカードは使えないので、改札で駅員さんに現金を支払う。駅舎は比較的新しいが、年季の入った長椅子や購買意欲の希薄な土産物コーナーはどちらかといえば故郷に戻ったときのようなノスタルジーを感じる。一時期は断絶していた観光列車が復興した旨の横断幕やアルバム、寄せ書きの乗った長机には温かさがこもっている。
駅前には竜宮伝説のモニュメントや立派な街路樹、タクシーのいないタクシー乗り場。観光案内の行先は殆どが10km以上離れた場所を示している。砂風呂に入るべく指宿に来たので、構わず歩いて1kmほどの施設へ向かう。
かつては温泉街として栄えた駅前商店街は殆どがシャッターを下ろし、人影は殆どない。かろうじて開いている居酒屋はマスクを販売している。そんな静けさをよそに商店街一帯には音楽が流れている。それが軽快であれば哀愁がましたろうが、しんみりとした曲調なのは寧ろよろしいものだ。
ほどなくして海岸に至ると、海水浴場と呼ぶには閑散とした渚では鳥が餌を探して砂をつつきまわしている。沖には単調な防波堤と、LNGのタンカーが眠そうに浮かんでいる。曇り続きにもかかわらず気温は高く、雲間から滲み出してくる太陽の熱気を感じる。
砂風呂に入れる施設はそこそこに賑わっていた。一組の外国人カップルは先客としてすでに砂浜に埋まって(埋められて)いる。気持ちよさそうにしているが、会話を聞いていたらもうそろそろ熱すぎると砂の熱さが堪え始めたようでほどなく離脱した。
10分が入浴(?)の目安だそうだが、正直体感時計は無いに等しいので特に考えずぼんやりとする。しばらくして次の客が来て埋められる。係の人が、あちらの時計で時間を。。。と話しているのを聞き、自分は聞いてないぞとそちらを向くとたしかに時計がある。市民公園にありそうな、本体と軸だけのシンプルな時計だ。そこから5分くらいを数えたところでつま先の熱さに耐えられなくなり離脱する。
砂を洗い流すため所謂温泉に戻ると、先ほどの外国人が体を洗っている。壁には指宿温泉の歴史が書かれている。薩摩藩の御用達だったようである。由緒ある温泉を出て、服を着て、ロッカーのカギを返す。二階の自販機で再びスコールを買い、一息つくと、窓の外の海は夕暮れに向かっている。
施設の前のバス停には数人が佇んでいるが、既に暑さは引き始めていたので再び駅まで歩いて帰ることにした。同じ道も向きを変えれば異なるものが見えてくるもので、廃ホテルやいつ営業しているのかわからないスナック、男尊女卑色の強いうたい文句を掲げた風俗店などがある。いかにも一昔前の温泉街という風で、しかしそこに人がいないことの情緒は皮肉なものだ。
件の商店街にまた近づいてくると、どこから来たのかまだ幼い小学生が三人、わいわいと騒ぎながら前を歩いてる。一人が三人ぶんのランドセルを抱え、親分的な一人がアンパンマンの話をしながら二人を指揮している。次の電柱まで荷物を持つなんて、絵にかいたような小学生だ。一人は壊れて骨だけになった傘を振り回しながら行軍のまねごとをしている。自分にはこんな少年時代は無かったなあと、すこし寂しくなりながら商店街の入り口に差し掛かる。僕の存在に気が付いた一人が振り返ると、ばつの悪そうな顔で振り上げた傘を降ろして持ち直し、もう一人が駆けだしたのを追うように交差点の向こうへと走っていく。
夕暮れの風はもう涼しくなっていた。