日陰【2022/07/24】
僕は不眠といっても睡眠ゼロなことはすくなくて、薬を飲めばたいてい3時か4時には眠れるので、眠れない夜というものを称していいのかわからないけれども、それでも眠れないものは眠れないし苦痛の時間が数時間続くことは極めて拒絶的な気持ちになる。
この話を最近何かに書いた気がするけれども書いていないかもしれない。
この間歩いていた町の、ビルディングの屋上に迫力のある煙突というか、排気口があった。2本。
地方都市の中心部から少し外れた、郵便局と地方物産館を兼ねた建物とか、よくわからない彫像が壁に彫られた商工会議所とかの固まってるような地区には一世代前の設計のビルディングが密集していがちで、結構いい。
たかが直方体の箱とはいえ、外壁の作りや装飾、窓の幅や大きさとかはいかにもある時代を反映しているなという感慨はあるのであって、現代建築にもそういうところはもちろんある。
そこでまた地方都市でいうところの、地方都市から特急で数駅いったような、コンテナ船の貿易港がありそうな町の最寄駅、すこし離れたところには複合施設があって、少し遠方から家族連れが家具を買ったり映画を見に来るような、そんな町の駅のロータリーにはいかにも現代らしさをアピールしたような曲線的なフォルムの屋根、一面ガラス張りの壁にかっこいい英語のフォントの蛍光する文字が釣られているような、ピンクの壁のスイミング場兼市民センター。
壁はもう色が褪せているし、蛍光する文字は縁の金属は錆びているし、なにより足元を見ると昭和からあるようなタイル張りの駅から続くコンコースに地続きになっている二階入り口がある。現代らしさはもう廃れ始めていて次のステージに進んでいる。
でもコクーンタワーみたいなあんなのがみたいのではなくて、もっと特別ではない、たいして権威もないような建築士がまさに最先端だと思って作った結果、似たり寄ったりなランドマークが建てられ、それにならうようにどこもかしこもゆるやかな類似性を共有しながら町がひろがっていく、その断片をみつけると楽しい。
楽しいと書いてしまったけれど、こういうのをみるのは別に好きでもなんでもない。でも、あると必ず見てしまう。
食べ物でいうと、おでんのなかの厚揚げ。
水族館でいうと、大水槽のいわし。
自分にはどうにもできなくて、どうこうしたいとも思わない、寂しい気持ちになる存在。
数日前の鹿児島の夕暮れは涼しい風が吹いていた。六匹連れの犬の散歩。たばこを吸いに外へ出てきた若い看護士さん二人の会話。
見ようとしなくても、世界というのは胃もたれがしてくる。情報が多い。