とある記者の話【2019/03/23】
先日、副業の或る事業の仕事で地方への出張があった。仕事そのものは平穏無事に終わったが、とある新聞社の取材が入っていたので、昼休みをまるごと割いて取材を受けていた。
彼はすこし特徴のある顔立ちの、40代前半の男性。事業についてありきたりな質問に答えながらも雑談をしているうちに、同じ新聞社に就職した先輩の同期だということがわかった。
そんなこともあり親近感は覚えたものの、彼はどちらかというとねちっこいタイプの人だ。正直、そんなことは自分で考えて適切に当たり障りのないことを書けばよかろう、と自分なら思うところを「この表現でよいか」、「この言い方で間違っていないか」、と一字一句を確かめてくる姿勢に、内心面倒くささを感じながらも、その真摯な姿勢に感心している自分もいた。
彼の専門は今回の事業とは似ても似つかない分野。彼にとっては未知の世界を理解し、咀嚼し、読者に伝えなければならない。大手の新聞社とはいえ、地方支社の記者はあらゆる分野の取材に飛び込まなくてはいけないことなども話した。いろいろな立場の人と交遊があることも知った。
彼のこの異様なまでの執念としつこさは、彼なりに相手を知ろうとする本気の現れなのだと感じて、不敬ながらも愛しさを感じてしまったのだった。
その日は名刺を交換して、別れた。
翌日、忙しくしていた私に誰かから電話がかかってきていたので、翌日所用で訪れていた神保町から折り返すと、その記者であった。
記事を書いたのだが、表現の再確認であるとのことだった。
このときは既に彼のひたむきな性格を慈しみながら、あたたかな気持ちで受け答えをした。神保町にはあまたの出版社があり、実際これまでもかなりの数の取材を受けてきたが、彼ほどこだわりをもって取材をできる記者は数少なかった。
遠い町で、一所懸命に世界と向き合っている彼を思うとき、聖橋を吹き抜ける風があまりにも哀愁を誘っていて、私は無機質なビルのエレベータへと向かっていた。
また彼に出会いたいと思う、3月の終わりのことであった。