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ディストピアにならなかった柔らかな世界線│わたりむつこ『はなはなみんみ物語』のこと

子どもの頃、《死》というものを突きつけられる経験を、誰もがしているのだろうと思います。ご自身が命の危険にさらされることがなくても、身の回りの動植物や、時にはひとの死に遭遇したり、ニュース映像や、すぐれた物語などによって、第三者の死を我がものとすることもあるでしょう。

幼い頃から死ぬのが怖くて、死について考え続けて哲学者や芸術家になった、というひとびとの逸話も耳にします。


私自身の《死》との出会いといえば、小学校に入ってから毎年の夏もしくは通年に亘って教わってきた《ヒロシマ》でした。
分厚いキノコ雲の下で起きていた具体的な生き死にの様はひとりひとりあまりにも凄惨で唯一無二です。それをひとつひとつ積み上げていった果ての《大量の命が一瞬にして奪われた》という形の《死》に、出会ったわけなのです。

このことについては、noteにいくつも記事を書いて、私の中に眠る最も悲痛な思いもことばに書き留めているので、詳細を繰り返すことはしません。

ただ、私が、美しさや静けさや透き通ったものにこだわり、《上澄み》の中で過ごそうとし続けているのは、深みに横たわるものがあまりにも生々しく怨嗟に満ちているからだということを、申し上げておきましょう。



この独り語りをするにあたって、《死》を導入にしたのは、『はなはなみんみ物語』『ゆらぎの詩の物語』『よみがえる魔法の物語』というファンタジー3部作を語る上で、避けて通れないテーマだから、です。すぐれたファンタジーに共通して見られるテーマとも言えるのかもしれません。


以前、こんな記事を書きました。


この中で、私が〈刺し貫かれて〉物語を書き始めるに至った「児童文学」に触れましたが、それがこの、『はなはなみんみ物語』シリーズでした。

全体的なテイストはファンタジー。空を飛んだり、魚のように水中をくぐったり、物質や思念を遠くに飛ばしたりする魔法も出てきます。

主人公は小人で、従ってうさぎやねずみたちもずいぶん大きく、ことばもしゃべりますし、とても友好的でなごやかな暮らしをしています。

ですが、その小人たちというのは、かつて起きた"小人大戦争"によって地上が火の海となり壊滅した、ほんの一握りの生き残りなのです。

彼らは、まるで地球に住めなくなった人類の生き残りが、宇宙船に乗って異星人を探すように、住み慣れた暮らしを置いて、仲間を探す旅に出かけます。

そこで何人かの生き残りと出会いながら、かつて小人たちが起こした戦禍によって傷ついた大地や空や海の怒りと悲しみを受け止めつつ、(当時はわからなかったけれど)どこか贖罪をも思わせる旅路を、困難のなか希望を持ってたどっていきます。


もう少し詳しくご紹介したいところなのですが、この本をひもとくと、胸がいっぱいになってしまって、うまくことばにできそうにないので、これ以上掘り下げることはできません。

ひとつひとつのみずみずしいことば、優しくやわらかい手ざわりの核となる、悼みといつくしみのまなざし。

それを、簡単にまとめてしまういかなることばも、私は持ち合わせていないようです。


さて。
小学校4年生といえば、広島市に住む子どもたちにとって、広島の過去や未来について、一段と深い学びが始まる年頃です。初めてかどうかはともかく、社会見学の一環として、原爆資料館を訪れたりもします。

かつて10歳だった私は、資料館で《ヒロシマ》に〈刺し貫かれ〉ました。『はなはなみんみ物語』に出会ったのは、おそらくそれから一年も経たない頃のこと。小学校の図書室で、でした。広島という地になじむ作品ですので、もしかしたら何かの意図を持って所蔵されていたのかもしれません。


その本の中には、過去の戦争との向き合い方について、様々なことが書かれていました。この街がひそかに抱えている生々しい傷口に触れたばかりの、混乱した少女に対し、痛ましい過去というものをどのように見つめ、寄り添えばいいのか、まなざしの向け方のひとつを教えてくれたのが、この本だったのです。

儚い美しさと優しさと、しなやかな強さと、そういったものを通して、戦争の傷跡を丸ごと抱きしめるような…何かをごまかすのではなく、率直に過ちを受け入れて詫び、ともに生き直していくための"心の持ちよう"を教えてくれた本でした。

といいながら、当時は、4人の若者たちの織りなす、魔法と冒険と、時には命さえも賭ける深い愛が優しく取り交わされる物語に、胸を躍らせて読んでいただけ、だったのですが…。

それこそが、《物語》というもののもつ、何ものにも代えがたい美質なのだと思います。



『はなはなみんみ物語』について、ことばを手向けたようで何も語っていない感想文を、終えようとしています。

ここで、水面をなぜる風のように吹きすぎていこうとしているのは、それが童話や児童文学など(の一部)に見られる物腰、距離感だから。それはどこか「生きているものにメスを入れてはいけない」厳粛な感覚に似ているのかもしれません。

締めくくりにあたり、第二巻『ゆらぎの詩の物語』──私が最も好きなおはなしの冒頭におさめられている詩を、引用しようと思います。

物語のどこか一部を切り出して、標本のように例示することが、どうしてもできなかった私の、せめてもの気持ちとして。

だれが海をつくったの
だれが陸をつくったの
だれが緑の木ぎや
木の葉のささやきや
川の流れをつくったの
青い空と白い雲と日の光
夜空ときらめく星と月の光
果てしない宇宙の遠くまで
いったいだれがつくったの

わたりむつこ『ゆらぎの詩の物語』





↓表紙にはいくつかバージョンがあります。表紙の著作権を守りたいので、タイトル画像は版元ドットコムに登録されていたものを使いました。
本庄ひさ子さんの絵も大好き。個人的に一番好きなバージョンはこちらです↓



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星の汀 / ほしのみぎわ
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