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テオフィル・ゴーティエ『クラリモンド〜死せる姫の恋』La Morte amoureuse |フランス幻想小説




👸 『クラリモンド〜死せる姫の恋』冒頭より(抄訳)


 恋をしたことがあるかとお訊ねになるのですね。──あります。それは特異でぞっとするような身の上話ですので、もう66歳にもなりますが、記憶の灰を掻き立てる勇気はほとんどないのです。
 ・・・(略)・・・
 私は田舎の貧しい神父ですが、毎晩の夢の中で(それが夢でありますように!)地獄に通じるような生活、世俗的でサルダナパール王のごとき生活を送った時期がありました。気配りのつもりの一瞥をある女に投げかけたばかりに、危うく魂を失いかけたのです。昼間、私は神に仕える神父として、純潔であり、祈祷や神聖なものごとで埋め尽くされていました。ですが、夜に眼を閉じるや否や、私こそが若き支配者となり、女、犬、馬にかけては並ぶもののない通人つうじんとして、博打を打ち、酒を呑み、天を罵るのでした。暁が寝床から身を起こす頃、私も目ざめるのですが、反対に、眠りに落ちて神父である夢を見ているように思われるのでした。

 そうです。私は、世の人の誰も愛さなかった、そのような愛で、愛しました。気がふれたように猛り立った恋情があまりに激しかったために、心臓が自ら裂けなかったことに今でも驚いているほどです。おお、なんという夜、なんという夜々だったことか!

Vous me demandez, frère, si j’ai aimé ; oui. — C’est une histoire singulière et terrible, et, quoique j’aie soixante-six ans, j’ose à peine remuer la cendre de ce souvenir. ・・・・・・ Moi, pauvre prêtre de campagne, j’ai mené en rêve toutes les nuits (Dieu veuille que ce soit un rêve !) une vie de damné, une vie de mondain et de Sardanapale. Un seul regard trop plein de complaisance jeté sur une femme pensa causer la perte de mon âme ; ・・・ // ・・・ Le jour, j’étais un prêtre du Seigneur, chaste, occupé de la prière et des choses saintes ; la nuit, dès que j’avais fermé les yeux, je devenais un jeune seigneur, fin connaisseur en femmes, en chiens et en chevaux, jouant aux dés, buvant et blasphémant ; et lorsqu’au lever de l’aube je me réveillais, il me semblait au contraire que je m’endormais et que je rêvais que j’étais prêtre.・・・・・・

Oui, j’ai aimé comme personne au monde n’a aimé, d’un amour insensé et furieux, si violent que je suis étonné qu’il n’ait pas fait éclater mon cœur. Ah ! quelles nuits ! quelles nuits !

テオフィル・ゴーティエ『クラリモンド』
(拙訳)


《それは特異でぞっとするような身の上話です》




👸 "  La Morte amoureuse " について


 日本でも長く愛され、芥川龍之介、谷崎潤一郎、岡本綺堂はじめ数々の翻訳によって読み継がれてきた名作。フランス幻想文学の大御所、テオフィル・ゴーティエ(1811-72)によって生み出され、1836年に発表されました。

 日本での翻訳タイトルには、『クラリモンド』『吸血女の恋』『廃墟の恋』『死霊の恋』『死女の恋』などがあり、定訳が決まらないようです。なので、どさくさに紛れて『死せる姫の恋』なんて副題をつけてしまいましたが・・・「妖姫の恋」とか??
 芥川龍之介が『クラリモンド』と名指した気持ちもよく分かります。原題の  "  La Morte amoureuse " は、ふたつの単語が名詞・形容詞どちらの働きもできるのでややこしいのですが、語順から「恋する死人(女性形)」となるはずです。原題のとおりにすると収まりが悪いですよね・・・。


👸 あらすじ


 ロミュアルドは、幼い頃から聖職者になることを天命とする青年です。神学校に通い、世間とも没交渉で励んだおかげで、異例の若さながらついに神父になる日を迎えます。24歳のことでした。

〈参考〉蛇足ながら、現代日本で神父(カトリックの聖職者)になろうとすると、カトリックの中でもイエズス会のことしかわかりませんが、10年間の修練を要すると先日神父様より伺いました。大学卒なら早くても32歳。ロミュアルドはかなり若いですね。


 聖職の授位式の日、彼はお御堂みどうで、列席していたある女性にふと目をとめます。妖しいほどに美しいその女性はクラリモンド、いにしえの王の寵姫がよみがえった姿でした。カトリックの聖職者といえば、「神と結婚」したと呼ばれる身。どのような女性であっても想いを懸けるのは御法度です。後ろ髪を引かれながらも、ロミュアルドは遠方に赴任し、慎ましい聖職暮らしを営んでいました。
 ある晩そこに、黒馬に乗った使者が現れ、さる高貴なご婦人の臨終を看取ってほしい、と依頼してきます。壮麗な館に踏み込んだ青年神父が死の床に見出した女性、それはあの日出会った清らかなる妖婦クラリモンドでした。
 そののちふたりは結ばれることとなります。昼は敬虔なる聖職者、夜の夢のなかではヴェネツィアに住まう放埒な貴公子としての二重生活を始めるロミュアルド。
 時々、死にゆく人のように憔悴したり、また輝くばかりの美貌を取り戻したりするクラリモンドに不審なものを感じつつも、ロミュアルドは彼女との享楽に溺れていきます。起きているあしたが夢なのか、寝ている夜が幻影なのか・・・心身をすり減らしながらの愛の日々は、3年を超えるほどの長さに及びます。
 ロミュアルドを指導する立場にある教区司祭セラピオンは、そんなロミュアルドを心配し、奈落の縁につま先立っている、と諫めますが・・・。


👸 クラリモンド、正体をあらわす


 以下は、ワイングラスの中に眠り薬を混ぜているクラリモンドを鏡の中に認めたロミュアルドが、差し出されたワインを飲んだふりをして、眠ったふうを装うシーンです。
 ほら、寝台に横たわり、眠ったふりをするロミュアルドのもとに、クラリモンドが忍んで来ましたよ──。

💎


 私が眠っていることをしっかりと確かめたあと、彼女は私の二の腕をむきだしにし、髪から黄金のピンを一本抜き取りました。それから、低い声で、こう呟き始めました。
「ひとしずく、ほんの小さな赤いしずく、この針の先、ルビーひとつぶだけでいいから・・・あなたがまだわたしを愛してくださるから、死ぬわけにはいかないの・・・ああ、かわいそうなひと! 輝くばかりの緋色の血を、わたしは飲もうとしてる。お眠りなさい、わたしのひとつきりの幸せ──お眠りなさい、わたしの神様、わたしの坊や・・・あなたを傷つけたいからというんじゃないわ、消えていくわたしの命の灯をとどめるために必要な分だけ、あなたの命を分けて頂くのだわ。これほど好きになってさえいなければ、他に情夫をつくって静脈を飲み干す決意もできるというものだけれど、あなたを知ってから、わたし、他の人がすっかりけがらわしくなってしまったの。ああ、きれいな腕、なんて丸い、なんて白いの! こんなに青くてきれいな血管に穴を開けるなんて、とてもできないわ・・・」
 そして、これらをそっくり言いながら、彼女は泣いており、両手で包み込んでいる腕にその涙が降り注ぐのを私は感じていました。ついに彼女は心を決めて、手にした針でぷつりと刺し、漏れ出た血を吸い取りました。ほんの何口も受け取らないうちに、私を弱らせてしまったのではないかという怖れにとらわれて、私の腕をていねいに小さな細い帯で巻いてくれるのですが、傷口に軟膏を塗り込んで、すぐに治ったその後のことでした。

Quand elle se fut bien assurée que je dormais, elle découvrit mon bras et tira une épingle d’or de sa tête ; puis elle se mit à murmurer à voix basse :
« Une goutte, rien qu’une petite goutte rouge, un rubis au bout de mon aiguille !… Puisque tu m’aimes encore, il ne faut pas que je meure… Ah ! pauvre amour ! son beau sang d’une couleur pourpre si éclatante, je vais le boire. Dors, mon seul bien ; dors, mon dieu, mon enfant ; je ne te ferai pas de mal ; je ne prendrai de ta vie que ce qu’il faudra pour ne pas laisser éteindre la mienne. Si je ne t’aimais pas tant, je pourrais me résoudre à avoir d’autres amants dont je tarirais les veines ; mais depuis que je te connais, j’ai tout le monde en horreur… Ah ! le beau bras ! comme il est rond ! comme il est blanc ! Je n’oserai jamais piquer cette jolie veine bleue. » Et, tout en disant cela, elle pleurait, et je sentais pleuvoir ses larmes sur mon bras qu’elle tenait entre ses mains. Enfin elle se décida, me fit une petite piqûre avec son aiguille et se mit à pomper le sang qui en coulait. Quoiqu’elle en eût bu à peine quelques gouttes, la crainte de m’épuiser la prenant, elle m’entoura avec soin le bras d’une petite bandelette après avoir frotté la plaie d’un onguent qui la cicatrisa sur-le-champ.

《彼女は私の二の腕をむきだしにし、髪から黄金のピンを一本抜き取りました。》


 いかがでしょう? ・・・怪談話であれば、ここで化けの皮がはがれた妖婦が恐ろしい様相で血をすすっていてもよさそうなものですが──そこはゴーティエさん。ヒロインがそんな醜態をさらすことは美意識が許しません。・・・というよりも、それではヒロインがかわいそうだ、ということでしょうか。
 心ばえ美しき死霊。ロミュアルドならずとも魅かれてしまいますね(◔‿◔)

 なお、veine/静脈 には、「インスピレーション」の意味もあります。その成果物を恋人から得て生き延びるなんて、まさに詩人的ですね。

 神父様みたいな清らかな男子というのは 女子にとって独特の魅力があるのは確かで、以前、カトリック聖職者の位階を調べようと「神父」を検索したら、よくある質問のところに、「神父様に恋してしまいました・・・どうしたらいいでしょう」なんていうのが出てきて、「わかるなあ」·͜· ♡
 クラリモンドも、どんな王様よりも聖職者がよかったのだと思います。「"死"が"聖"に恋をした話」とも読めるわけなのですが。

 私が一番「やられた」と思ったのは、《わたしの神様、わたしのぼうや》というフレーズ。ちょうど、恋に落ちると、かわいいから気高いまであらゆる感情が揺り動かされるよね・・・なんて思っていたところだったのです。短い言葉で的確に指すのもさすがですし、地の文で長々と語らないのもお手並み鮮やかです⭐︎

 このあと、クラリモンドとの恋の結末がどうなったか・・・それは、青空文庫の芥川龍之介訳で、お読みになってみて下さい(英語経由の重訳かな?と思わせる箇所がありました ·͜· ♡)。もし、一人称「わし」がどうしてもひっかかるという方がおられたら、青空文庫の岡本綺堂訳をどうぞ。抄訳のようではありますが。

 新しいものだと、↓こちら↓もあるみたいです。(未読ですが)



👸 《きずなき宝珠》ゴーティエ〜『悪の華』献辞より



 美麗、幻想といえばゴーティエです。
 私のフランス文学との出会いはデュマ・フィス『椿姫』だったのですが、さらにゴーティエの短編に出くわして、愛と死だけでなく、ほの暗い幻想に彩られた世界にすっかり魅了されたのでした。

 ゴーティエ先輩に誘われて( 〃▽〃)\キャー/💕とばかりにフランス文芸部に入部したところ、めったに部室に現れないボードレール先輩にたまたま鉢合わせし、惚れてしまった、というなりゆきでした。(浮ついた書きぶりで恐縮!)



 自分の書くものに作風というほどのものがあるかはともかく、親しく思うのがゴーティエ御大の作風です。(〇〇に影響を受けました、と述べるのは、自分に何らかのスタイルがあるということを間接的に告白することになってしまいますから、そんな度胸はありません。)


 さて。そのゴーティエ大先輩(1811-72)に対し、ボードレール先輩(1821-67)が、彼の最も気合いの入った作品である『悪の華』で、このような献辞を捧げています。

献辞
純一無瑕むかたる詩人
フランス文学における完璧な魔術師
親しくもまた崇敬する我が師にして友である
テオフィル・ゴーティエに
最も深い恭順のおもいをこめて
この尋常ならざる花々を献ずる
C.B.


Dédicace
Au poète impeccable
Au parfait magicien ès lettres françaises
A mon très-cher et très-vénéré
Maître et ami
Théophile Gautier
Avec les sentiments
De la plus profonde humilité
Je dédie
Ces fleurs maladives
C.B.

シャルル・ボードレール『悪の華』より(拙訳)



 さらりと書いてあると読み過ごしてしまいそうですね。文学とは別のメディウムである美術に関する批評を読んでいると、却って浮き彫りにされてくるのですが、"詩"や"詩人"ということばを万感の思いをこめて使っておられるのだなあ・・・それこそ、いつも太字(大文字)で書きたいくらいの勢いです。
 なので、ゴーティエのことを(小説家ロマンシエ文筆家エクリヴァンでも良いところを)"詩人ポエット"と呼び、しかも神学ではイエス・キリストに対する形容である "impeccable=(宗教上ふくめ)罪科を犯すことのあり得ない" 詩人、さらに、ゴーティエ氏の本領が詩だけではないことから、「フランス文学における」「完璧な」「魔術師」という最大級の賛辞を贈っているのは、献辞だからと割り引いてもなお、とても大好きだったのだろうなあ・・・と。
 しかも、caractère fort/ 剛毅な性格もしくはキツい性格と呼ばれるような人が、「最も深い恭順」ですから、読んでいるだけでキュンキュンしてきます(笑)

 このふたりはお互いの評論をそれぞれ書いていますので、いずれ読み比べてみたいなあと思います。



 魔術師、とのことですが、それはまさにその通りで、読んでいると、克明な描写がありつつそれがふっと幻に溶けていくような・・・ズームアップとアウトを自在に使っていて、また感覚的、象徴的な語(焔、光輪、翼など)を美麗な描写の中に惜しげもなく投入なさるので、まさに幻惑されてしまうのです。浮遊感というのでしょうか。今回、風邪を引いて熱が出ているときに、眠りに倦んでは読んでいた(芥川訳)のですが、次回からも熱が出たらゴーティエを読もう! と思ったのでした。
 天使とか死霊とか、善悪聖俗それぞれの色香のようなものを下ろして書くゴーティエ先輩の筆致が、個人的には肌なじみがよかったりします。

 今回、少しだけ訳してみて、古巣に帰ったかのようにくつろぐことができました。自分が書いた物語を推敲しているときの心持ちと、どことなく似ている気もして。楽しみのために訳す、という感じです。苦労も含めて。

 ボードレールの散文詩を訳していると、これはもはや掌編では・・・と思うほどストーリー的な場合もありますが、そうは言っても散文詩なのだなとあらためて思い返しています。小説の方がよりカメラが近いというか、一文と前後の文の関連性が高いため、訳すときに意味を予測しやすいです。

 『クラリモンド』はそこそこ長くて、12,000語ほどなので、全部訳すとかなりかかりそうですが、やってみたい気もしています。ちなみに今回は合計400語。30分の1くらいですから、仮に1週間ずつかけるとしたら、8か月・・・ゆっくりで1年・・・の計算になります。でも、もう一篇、ポンペイでのタイムリープ・ロマンスものがありまして・・・どちらがいいかしら🤔
 短編をまるごと完訳できたら、すごく力がつきそうですよね・・・しかも、ゴーティエ氏なら、シャルル先輩公認ですからヽ(´▽`)/
 公認じゃなくても訳しますけどね(^w^)


👸 次回の予告


 まだまだ尽きないゴーティエ談義。次回の【シリーズ⭐︎フランス文学】は、「美丈夫」という呼び名がぴったりだったらしいゴーティエのご紹介と、彼の永遠のマドンナ、カルロッタ・グリジにあてた熱烈なラヴレター1868年1月11(?)日付け 全訳を載せたいと思います。704語、現在鋭意翻訳中です。

 「あなたは僕の命、僕の魂、僕の永遠の欲望です」

 27年越しの恋、56歳でこの熱量。私もそのお年頃になったら、熱い恋文でも書いてみようかしらん・・・? (誰に?)
 ひとさまの恋路ながらドキドキです(⁄ ⁄•⁄ω⁄•⁄ ⁄)



《彼女は煙のように大気にほどけていき、それ以来、私は二度と彼女に会うことはありませんでした。》



画像はすべて、Paul Albert Laurensが『クラリモンド』のために描いた水彩画を、Eugène Decisyが版画にしたものです。


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星の汀 / ほしのみぎわ
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