「足らざる」を知る
「若かったなあ」
「あのころ」を思い返し、そう感じることがあります。
10代の中高生が、小学生時代を振り返り、そんなセリフを口にする場面に出合うと、思わずニコリとさせられ、「そう思うのは、あなたが成長した証しだよ」と、声をかけたくなります。
一方で、たとえば60〜70代が、これまで歩んできた道のりを思い起こし、「あのころは、若かったなあ」と思う時、そこには「老いたなあ」という感慨がにじみます。それもまた「成長した証し」の一つであるはずなのに、そう声をかけてみても、どこか、しっくりと来ません。
重ねてきた「時間の厚み」が違うからでしょうか。その人だって、それまでの人生の中で、いろいろなことを経験しながら成長し、歩み続けきたことに違いはないはずなのに。
しかし、実際に先立つのは、「老いた現実と向き合う自分」が、そこにいる、ということ。この先の「さらなる成長」が感じられず、下り坂を歩んでいく自分の姿ばかりが思い浮かぶ。
でも、その現実を素直に受け入れ、前向きに、ポジティブに捉えようとする方に出会うことがあります。
「私なんて、何をやっても中途半端。不完全な存在だと分かっているので、最初から完璧なんて求めていない。かえって、次の目標が見えていい。人間、いつも『現在進行形』だから楽しい。常に何かを求めて、『現在進行形』で死にたいね」
ある80代女性の言葉です。
そんな姿を見せられると、勇気づけられます。
日本のプロ野球、米国の大リーグで活躍し、数々の「記憶」と「記録」を残したイチロー選手が、両国の「野球殿堂入り」を果たしました。
米国の「野球殿堂入り」では、当初予想されていた「満票」に、あと1票足りず、記者会見で、こう語っています。
偉業を達成しても、なお「足らざる」を知る。その姿勢は、80代女性の言葉に通じるものがあります。
「不完全」こそ、おもしろい! おもしろがって、歩んでいきたいな、と。
そんな元気をいただきました(^^)/